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「保護者の声を集めること」と「読み格差」
今年度、学校が異動して変わったことをきっかけに、保護者からの声を集めて、学級通信で紹介していこうと思った。風通しのいいクラスにしたいなと思っていたし、子どもたちに「共に」関わり、「共に」向き合うという土壌づくりのためにも、やってみようかなと思った。
そこで、こんなお願いの文を綴った。
昨日もお伝えしましたが、「きらきらひかる」は、保護者のみなさんからの声も集めたいと思っています。本日配った用紙に、どんなことでもかまいません。どんなタイミングでもかまいません。日頃の子ども(たち)を見ても思っていること。感じていること。「きらきらひかる」を見て、思ったことなどを書いて、お子さんに渡してもらえたら嬉しいです。その声を「きらきらひかる」に載せていていこうと思います。お名前は載せませんし、パソコンで打ち直しをして、掲載します。
さっそく声が届けられた。
若いころのボクだったら、そりゃもう、めっちゃ喜んで、すぐに掲載していただろう。そう、ボクは、以前にもこうした取り組みをしていたことがあったから。
でも、今回は、どうも気になって仕方がなくなってしまったことがあった。
それは、「これで格差が生まれやしないか」という思いだった。
「ボクのお母さんは書いてくれた」「私がお願いしたら、いやいや書いてくれた」「ボクの家は書いてくれない」「私の家庭は忙しそうだから、書いてってお願いできない」
また、子どもだけではなく、保護者にとっても、「書く・書かない・書けない・書きたくない」という間で揺れ動くことがあるのではないか。
そして、ボクも、「書いてもらえた」家庭と、「書いてもらえていない」家庭という間で揺れ動くことは絶対にないと言い切れるのか。
もちろんやり方次第によっては、こんな心配が杞憂になるのかもしれない。でも、ボクにはそんな力量はない。でも、なんとか「言葉」を探してみた。
そこで、追加の文を綴った。
「きらきらひかるメッセージ」は、「きらきらひかる」は、保護者のみなさんからの声も集めたいと思って、はじめたものです。どんなことでもかまいません。日頃の子ども(たち)を見ても思っていること。感じていること。「きらきらひかる」を見て、思ったことなどを書いて、お子さんに渡してもらえたら嬉しいです。出していただくタイミングも、まったくルールはありません。いつでもかまいません。もちろん、この一年間出さなくても、まったくOKです。私も、子育てをしながら働いていますし、子育てをしながら家事をすることの大変さも、十分わかっているつもりです。お気になさらずにいてください!
こうした文で、ボクの気になっていることが解決されるなんて思っていないし、逆に、ここまでぐちゃぐちゃになっても、やるべきなのかという思いもある。
でも、今年度は、ココとしっかり向き合いたいと思っている。
上手くいったと思えることも、向き合わなければならない課題も、きちんと見つめて、探して、積み重ねていく1年にしたいなと思う。
それから、保護者の中に生まれる「読み格差」も意識していきたいと思っている。
今年度、コロナの影響で、ふだんなら行われる新年度の懇談会がなく、ボクの思いや願い、やり方などを伝える場面がない。だから、今年度は、保護者向けの学級通信も出している。
その中で、少しずつ自分の思いや願い、やり方などを伝えている。
例えば、こんな感じだ。
今教室では、「一人一役」の当番制に取り組んでいます。当番は、給食や清掃、日直などの活動です。係と違って、「活動がなくては、みんなが困る」というものです。
当番のやり方には、いろいろなやり方があります。どのやり方にも、それぞれ良さがあります。
私が「一人一役」制にしている理由は、いくつかあります。~~~~~
ただ、こうやって書いている時に、生まれるのが保護者に「読んでもらっている」という思いこみ。その思い込みは、「わかってもらっている」といいう思い込みに繋がる。
でも、そんなことは言い切れないのだ。いろんなご家庭がある。お忙しい家庭だってある。読めない家庭もあるのだ。
そして、それはけっして教師には伝わってこない。よっぽど関係性が悪くならない限り、読んでいなくても、わざわざ「読んでいません」なんて言わないだろうし、もしかしたら、気を遣っていただいて、読んでいなくても、「読んでいます」と伝えているのだと思う。
だから、「読んでもらっていない」家庭もあると思うことが大事なのかもしれない。
ただ、そう思うことで解決できないことがある。
それは、「読み格差」(うまい表現が見つからないのだけれど)。
読んでくれている家庭は、どんどんクラスのことや、ボクのことをわかってくれる。
でも、なかなか読めない事情がある家庭は、クラスのことも、ボクのことも、あまりわかってもらえていないし、わかっていないことに、不安を感じているかもしれない。
だから、ボクは、この格差を極力生まないように、そして、不安を感じさせないようにすることがとても大事だと思っている。
かと言って、じゃ、どんな配慮をしているのかと言われると、あまりない。
ただ、情報量(文字数)をかなり意識している。忙しくて読んでもらえることを意識した誌面にしている。レイアウトもそう意識しながら組んでいる。
たった一つのことだけれど、とても大事なことだ思う。
子どもたちと向き合う時も、保護者と向き合う時も、やっぱり声なき声に、どれだけ思いを馳せられるかなんだと思う。思いを馳せることができず、たくさんの失敗をしてきた自分だからこそ、思うこと。
懇談会に来ていただく保護者はありがたいけれど、来れない保護者はどう思っているのか。
先頭に立っていろいろやってくれる保護者がありがたいけれど、それ以外の保護者はどう思っているのか。
「読んでいます」と伝えてくれる保護者はありがたいけれど、それ以外の保護者はどう感じているのか。
メッセージを送ってくれる保護者はありがたいけれど、それ以外の保護者はどう感じているのか。
たった一人だったとしても、その声なき声にも思いを馳せることができたら…と思う。
迷いながらも、こういうところとも向き合いながら、この一年を過ごす。
今日のアルバム。大好きなアルバム。
春は来る 全てを溶かせよ
それなのになんて遠い春なのか
いつかは忘れてしまうのでしょう
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