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津軽に住んでる女が映画「いとみち」を観ました

※津軽で生まれ育った女の個人的な感想
※原作、パンフ未読です

「いとみち」とっっっっってもよかった!!!!!

地味な女の子が自分で居場所を切り開いて成長していく物語、「千と千尋の神隠し」のような王道ストーリーではあるんだけど(途中からいとちゃんと幸子が千尋とリンにしか見えなかったよ)、それを「津軽×メイド喫茶×三味線」という要素を組み合わせることで今まで見たことない新しいものになってる。

津軽を舞台にすることで生じる最大のネックってやっぱり津軽弁だと思うんですけど、「いとみち」の津軽弁は誰も違和感ない。(細かいイントネーションが違うところはあったけどそこに突っ込むのは野暮です)みなさんかなり練習したんでしょうね。
一番強く感じたのは「方言を話す人と標準語を話す人でドラマや映画の受容のしかたって違うんじゃないのか?」ということでした。
今までそれなりにいろんなドラマや映画を観てきたつもりだけど、そこで話されてるのってほとんどが標準語ですよね。
でも私は津軽弁ネイティブなので話したり聞いたりする言語がそれらの作品とは違うわけです。
「いとみち」では、もはや演技とは思えないくらい生の津軽弁が飛び交っています。"私が使っている言語"の映画になっています。そのことで、スポンジに水が浸透するみたいに、セリフも表情も標準語の作品よりもはるかに自分の心にスッと入ってきたんです。
それってつまり、私が今まで観てきた作品には、気づかないうちに「標準語という透明なフィルター」があったんじゃないか?と思いました。
「いとみち」でそのフィルターが取り払われて初めて、津軽弁話者である私は「リアルな演技が素晴らしい」ってこういうことなんだ、と合点がいったというか。
自分が話す方言からしか得られない知見がある。これってある意味方言話者の特権だと思います。

以下、感じたことの箇条書き。
・おばあちゃんのおばあちゃん感がすごい。うちのおばあちゃんかと思った。津軽のおばあちゃんはだいたいあんな感じです。

・トヨエツパパがいい感じの違和感というか「良い異分子」みたいな感じ

・いとちゃん、片親が標準語の家庭で育ってるならある程度の標準語は喋れるのでは……?(やめろ野暮だ)

・時給1000円以上は確かに青森では魅力的だけど私はあそこでは働きたくない……先輩がこわい……

・店長さんが良い人すぎて泣ける、あの昭和のスターみたいな男前店長ずるい、身近にいたら絶対恋しちゃうじゃん

・古坂大魔王が登場するだけで笑っちゃって、でも声出さないように我慢してたら脇腹がつりそうになりました

・宇野祥平さんに似てる人いるなあって思ってたらほんとに宇野祥平さんでワロタ。津軽弁が自然すぎる。

横浜聡子監督作品は「俳優 亀岡拓次」しか観たことがなかったけれど、説明過多な邦画が多い中でちゃんと「俳優の演技」を信用している方なんだろうなと思いました。数々の「青森映画」(そんなジャンルがあるのかは知らんが)の中ではトップの出来栄えではないでしょうか。なにより、これを観た地元の人たちが「青森から、津軽から、こんなにすばらしい映画が誕生した」と胸を張って言える映画になっていると思います。

「いや〜〜よかった!!いい映画だった!!」って晴れ晴れとした気持ちで映画館を出て、表に掲げられているポスターの写真を撮っていたら、横から知らないおばあちゃんに「どうだった?」て訊かれました。
私が「すごい良かったですよ」って返したら
「あれも気になるよね。犬クラブだっけ?(たぶん犬部のこと)あれも観ねばね〜」
「そうですね〜」
って会話した。
そのおばあちゃんはまだ映画観てないようで、でも気にはなってるみたいな口ぶりでした。
普段なら、どんな大作映画でも知らない人に「どうだった?」なんて話しかけられることはないのに。
それほど地元の注目度が高いんだなと、ちょっとびっくりしたんですよね。
名前も知らないあのおばあちゃんが「いとみち」を観たら、どんな感想を抱くんだろうなあと、帰りの車の中で思っていたのでした。
青森を、津軽を、こんなに魅力いっぱいに撮ってくれた横浜聡子監督に最大級の感謝を。
映画「いとみち」、津軽人も津軽人じゃないひともたくさんの人に観てほしいなあ。

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