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勘違いあるある?

私たちは思ったより、人と通じ合えない。
でも、それって悪いことじゃないと思うの。
だって、憧れや胸をときめかす目に見えない何かは、いつだって 人と人の間に存在している。

実在の人間を言葉巧みにキャラクター付けするのが得意な友達がいた。
例えば、「〇〇のイメージソングはこれ。」だとか、「〇〇ちゃんは、海外だとこういう名前になってそう、和名でこれも似合いそう。」だとか、「〇〇のブランドが似合いそう。」とか
私はその子の話を聞くのが大好きで、一緒にいるのがすごく楽しかった。良さげな所をいかに拾って、綺麗に表現するかってところに意気投合するのが面白かった。
これは、ここでいう人間間にある美徳(勘違い)に焦点を当てた遊びだったんじゃないかな。

コピーライターの商品説明にときめいて、購入を決めた買い手がいると思う。
Googleマップより、SAVVYを片手に旅したい人がいると思う。

挙げたもの、ぜんぶわたしの中では繋がっていて、ここにおける商品の魅力は他人の感覚を介することで生まれている。

人間関係に当てはめると、
会話を重ねて、相手のことを好きになっても、
自分から相手へのフィルターが変化しただけなんだと思う。意地悪く言うと、勘違いが複雑化した。
違う人から見たその人はまた違う性質のはずだ。貴方が見ているその人は、貴方にしか見えない。
死んでるか死んでないかは箱を開けた時に決まる 、シュレディンガーの猫みたいだね。

期待違いしたら、痛い。つらい。
自らの傲慢さが嫌になる。
けど、こう考えたら少しはポジティブな構えが取れるんでない?
程々に拗らせてこーよ。

言葉と言葉の間に生まれる齟齬が化学変化を起こすから、面白いものが生まれる。

pixivとかによくあるよーな、××属性とか、○○(性癖名)だとかはその権化だよ。
夢幻を愛せよ。
勘違いを愛したい。

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