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下北沢シェルター0912

心がどうなっちゃうのか、どこに飛ばされちゃうのか、こわくなるくらいすきな音楽がある。


音楽活動にかかわりのない生活をしているわたしにとって、ライブハウスというのはすごく遠い存在であって、いつも会社をでてライブハウスに向かう日は、別に行かなくてもいいかなあ、とかんがえる自分がいる。

そこにいこうといくまいと、明日も会社に来ることには変わりないのだし、あんまり心がうごかされてしまうと会社に行きたくなくなってしまう、それくらい、ライブハウスと会社というのは次元のちがう世界であるようにわたしには思える。

だからいつも、ライブにいくと決めるのはぎりぎりまで悩んで、行くと決めた当日もああだこうだと逃げようとする。


それでも、ライブハウスへいく。

心がどうなっちゃうのか、どこに飛ばされちゃうのか、こわくなるくらいすきな音楽がそこにあると知っていて、またきょうも出逢いたくて、足を運ぶ。


下北沢の駅で電車を降りたら、灰色ロジックのTシャツを着た女の子が足早にエスカレーターを昇っていった。人が多いライブハウスはちょっぴり苦手で、すこし不安になる。

シェルターの外には人が溢れていて、階段を下るとやっぱり、フロアは人で埋まっていたけれど、なんだかそれも嬉しく思えたし、そこには希望が満ちていた。胸が高鳴る。



「素晴らしい日にしよう」と何度も口にしたマイアミパーティの言葉のひとつひとつが、メロディにのって心のなかに飛びこんできたし、KOTORIの4号線を聴けたのも、すごく嬉しかった。

そして、であった灰色ロジック、やっぱり大好きだった、

深谷さんの叩くドラムの音が、心臓の鼓動みたいに胸に響いてた。

いつもよりエコーがかかっているのか、ぼんやりとした聴き心地がして、もっと半田さんの声をクリアに聴きたいなあ、なんて思ったり、この曲たちを帰ってからも聴けるんだ、ということにわくわくしたりして、ぎゅっと耳をすませる。

アンコールで聴く海岸線はいつも特別に素敵で、素晴らしい日が終わりをむかえた。



朝おきて、「生活の柄」を聴いている。新しい日がはじまった。

だいすきな音楽を、脇に抱えて、胸に響かせて、きょうもこわいくらい心をうごかされてしまうけど、でもそれももうこわくない。

これからはこの音が、わたしの血となって巡りつづけてくれるから、また深呼吸をして、音を指の先と頭のてっぺんにまで通わせていられる、そんな気がしている。


わたしはわたしの生活をいきていて、そうして、またそこに、出逢いにいく。それだけで良くて、それだけあれば十分で、それを叶えることの貴さをちゃんと感じていたい。


生活の空は、きょうもわたしたちを眺めている。