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旅行記2 尾道の吐息


 尾道に来たいと思った理由も、思えばよく分からない。知っていることと言えば、精々坂があり、懐かしい町並みがあり、そして海が見えるということ。尾道を有名にしたきっかけとなったらしい大林宣彦監督の映画作品すら、結局見るタイミングを逸しつづけている。
 ただ旅に出るにあたり、ぼんやりとした、何でもないような時間を過ごしにゆきたいということは、つよく思っていた。さらに本音を言えば一ヵ月くらい、散歩をしては、海の見える静かな部屋でもくもくと書きものをする、たったそれだけの生活をしてみたい。
 それはもう何年も前から、漠然とした欲求として常に頭の片隅にあったけれども、こうして振り返ってみると、私は物心ついた頃から慣れ親しんでいるはずの、都市での生活に相当疲れていたのだろうと思う。さまざまな個人的な事情はさておくにしても、たとえば隙間という隙間を埋め尽くすように乱立する建物に、自然らしさを恣意的に誂えられたような緑地、そしてそのあまりの多さゆえに、もはやひとつの波や群体のようにしか眺めることのできない、人々の姿の有り様。それらの景色は私の心の深くにまで染みわたり、昼も夜もないざわめきを広げている。ときに優しく、ときに蠱惑的に、ときに侮蔑と敵愾心を渦巻かせながら、ずっと私をとらえている。おそらくは、眠りのうちでまでも。
 だから、逃れてみたかった。ただ坂と海があるところとだけ知っていた尾道の町は、それに相応しい土地として、どうやら思い浮かんだらしかった。
 はたして、望みは果たされた。
 無論、土地勘も何もないところなので、概ねはガイドブックで紹介された観光地を目標として歩き回ることになったけれども、その合間合間のなんてことのないような時間が、尾道ではどこもかしこも楽しかった。たとえば、最初の目的地であった広島から山陽本線に一時間以上揺られ(ちなみにこの列車移動の時間も私は退屈というものをしなかった。連綿と続く山のあいだを抜けていく、たったそれだけの景色すら私には物珍しかった)、尾道に着いたのは夕方六時を回ろうかという頃で、さてホテルに荷物を置き、少しは観光らしきものもできようか、と歩み出した商店街の店々はすでに大半がシャッターを降ろしており、電灯の明かりがしらじらと降りそそぐなかを、ときどき地元の住民と思しき人影が行き過ぎたり、屯していたりするばかりだったけれども、その景色すら何やら胸に染みるようだった。
 翌日には、千光寺や猫の細道などといった有名どころへと足を向けた。千光寺新道をはじめ、連綿とつづく階段は運動不足の身の上にはとてもひと息に登りきれるものではなかったけれど、しかしそうして足を止めるごと見上げるさきでうねりゆく道筋、また振り返って見下ろす町並みの懐かしさ、タイルの細やかさ、そしてさらにその向こうにさんざめく海の静かさ、深い緑色をした向かいの島々の姿に、空にわだかまる曇天の光、そういったものに逐一私は魅入っては、せめてもの記憶をこの手に留めようと、カメラのシャッターを執拗なまでに切り続けていた。
 あるいはその日の夕方には、急遽入用になった旅行用品があったために、観光地とは駅を挟んで反対の方面にあるイオンにまで出向く羽目になった。商店街方面とは打って変わって、整然と区画分けされた住宅街の景色は、道幅が広く、山と海とがあるほかは地元でもよくよく見慣れたものとさして変わらず、さらにイオンの店内にまで入ってしまえば、目を引くのは旅客向けの地元の名産品などではなく「九州うまかもん市」の特集コーナーで、さすがに同じ道をもう一度歩きで往復するような目に遭うのは遠慮願いたいところだったけれども、ただ一度きり、青い夕もやの中を、グーグルマップを片手に黙々と歩きつづけることには、ひそやかな楽しさがあった。
 イオンから出ると、雨が降り出していた。もとより天気の崩れるらしいことは、予報によって確認していたとはいえ、雷の音まで聞こえたとあらば、大慌てで宿へと引き返すよりほかになかった。
 そうして戻ったホテルの部屋で、私は窓の外をぼんやり眺めていた。尾道水道を一望できる、という文句に惹かれて予約した部屋からは、確かに海と、向島とのあいだを頻々に往復するフェリーの姿を望むことができたけれども、同時にホテルのすぐ正面の通りや、遊歩道の方へも視界がひらけており、裏を返せば通行人の方からもよく見える位置にあったために、カーテンを開けたままにしておくのは憚られた。けれども、この時ばかりは気にしなかった。何しろ、けっこうな豪雨である。建物の上階などを仰ぐ余裕などたいていの人には無いはずで、おまけにあたりはいよいよ青黒く暮れなずんでいる。電灯を点けないままにした室内はさらに暗く、より明るい外からは中の様子を窺い知ることもきっと難しい。
 その暗がりに半ばとけるようにして、私は窓の外をただ眺めた。いや違う、実際にはかなりの時間、携帯をいじっていた。せっかくの旅先で、もったいない、とは思いつつも、疲れ果てた心身が馴染んだ刺激の方へひきよせられていくのを、留める元気もなかった。しかし、そうして俯けた視界の隅からは時折、雷光が閃いた。錯覚かと見紛うほどの、わずかな明滅だった。音もなかった。そのたびに、私は顔をあげた。そうしてつかのま、青く、のっぺりとぼやけと尾道水道へと、ほとんど無心のまなざしを私は預けていた。一時間ほどで雨雲が過ぎ去り、いよいよあたりが真っ暗な夜の気配に浸されるまで、ずっとそうしつづけていた。
 尾道では、そんなことばかりが記憶に残った
 正直なところ、書こうと思えばまだまだ書きたいことは様々ある。雨もすっかり降りやみ、ぐっと気温も落ち込んだその翌朝、パン屋『航路』のパンと喫茶店『ブラジル』の珈琲をテイクアウトし、海のすぐ近くのベンチでのんびりと味わった、その清々しい時間の美しさ。あるいは映画『ふたり』のロケ地となった電柱や、『ガウディハウス』を尋ね歩こうとして分け入った山手方面の、ことさらに細い坂道、折り重なる枯草、道中に「ご自由にお持ちください」というメモ書きとともに置かれたポンカンの山、その橙色の鮮やかさ、それらを隈なく照らしだす、日差しの色。
 しかし、それらは書いたさきから、どんどんとその実体を失っていく。たとえ巡りあったすべての出来事を書き連ねられたとしても、その瞬間瞬間に胸のうちを満たしていた色や、響きや、香りのすべてを留めることは、言葉にも、写真にも叶わない。それでもただ掠れゆく記憶の裾を追いかけながら、良かった、楽しかった、美しかった、とそれだけのコメントを付け加え、心のうちに蓄えようとする。下手に賢しらな言葉を継ぎ足そうとすれば、かえってそれらの情景は、その手つきによってたやすく歪んでしまうだろう。どれもこれもまるで紙風船のように、もろい、はかない記憶ばかりだ。
 いまはまだ、まざまざと思い起こせる。されどそれも遠からず色褪せ、都会のざわめきのうちに埋もれ、どこか記号的な絵図としてしか、良かった、楽しかった、美しかったと、たったそれだけの言葉しか引き出せないような、思い出のひとつに過ぎなくなるのかもしれない。
 けれども、こうして書きとめきれなかった光の気配も、とどめえなかった音のにおいも、まるきり失われてしまうわけではきっとない。
 ひとつ、私はこの旅行に出て驚いたことがある。
 私はときおり、夢のなかで異様に美しい、目覚めてなお反芻していたくなるような風景に出会うことがある。そのうちのひとつに、列車から眺める窓の景色があった。新緑の山の斜面に、白っぽい建物と思しきものが、びっしりと張りついている。ひとつひとつの構造物はあまりにも小さく、その造りも分からなければ、立体感というものもなく、ほとんどモザイク模様か、抽象画めいた線の集積がわだかまっているようにしか見えない。ひとつの巨大な建物のなかにさらにさまざまの細かな構造がひしめいているのか、それとも数多くの住宅が密集しているのかも分からない。
 とても現実にはありえない光景だと思っていた。けれどもそれはあった。
この旅行のいちばん始め、東京から広島へと向かう、新幹線から眺めた車窓だった。
 無論、まったく同じという訳でない。夢の景色が纏っていた妙な恍惚感のようなものは、当然現実には無かったし、夢のうちでは明るくさんざめいていた水や緑も、何しろ二月もまだ半ばの旅行だったので、ありようもなかった。山々には冬枯れの色が濃く覆いかぶさっていたし、次々と過ぎ去っていく家々は、きちんと人の住む家の姿形をしていた。それでも夢と現、ふたつの風景の印象は、あまりに似通っていた。
 私がこの旅行の以前に新幹線に乗り、東海地方を通ったのはもう十年も前のことだ。そのときの記憶は、もうほとんど残っていない。けれど恐らくはそのときに目にしたものが、私自身ですら知らない記憶の奥底にずっと残り、ある時に夢となり、いくぶんより鮮やかに脚色されながら、浮かびあがったのだろう。
 いまこうして、旅のあいだのさまざまな出来事を振り返ろうとしている、このあいだにも、記憶は次々と意識の網の目の隙間から、やわらかな砂のように零れ落ちる。されどいつかにはまた、私自身にも知りえなかった風景となり、忘却の川の淵から蘇り、きっと巡りあう。
 けして無にはならない。たとえ何がしかの意味や、意義をかたどらなかったとしても、なお息づいている。生きている。たとえ、目には失われているように見えても。
 それでもやはり、楽しい旅の思い出をただ忘れるがままにしてしまうというのは、いささか侘しい。せめて思いつく限りのことを、書きとめておこう。
 一日を通して曇っていた空から、ときおり気まぐれのように現れる太陽の淡い白銀色。午前十一時の『帆雨亭』の窓の外からしみじみと差し入る草木の緑と、鳥の鳴き声。本町商店街のアーケードの内側へと滲む、おぼろな昼明かり。ぽつりぽつりと行き交う観光客の影。艮神社にある楠の古木の枝の広がりに、それが纏うものしずかな時の重み。御袖天満宮の長い階段の両側でぽつりぽつりと綻びはじめた梅の花。その参道の、なにか心を自らも知らぬ過去へと誘っていくような、不思議な色合い。千光寺公園の展望台から望む、尾道水道の風景。尾道大橋、向島の沿岸に立ち並ぶクレーンにコンテナ、ずいぶん小さく見える屋根たち。つかのまの晴れ間がつくった天使のきざはし。そこから文学の小道へと抜けようとして、迷い込んだ八畳岩の上に降った木漏れ日。若い旅客たちのざわめき。山手方面と、商店街地区との境を通る線路を、茶色いコンテナをいくつもいくつも連ねた貨物列車ががたがたごとごとと走り抜けていく様。白っぽく、やわらかみを帯びているような木の枕木。寝汚く過ごしたホテルのベッドの上にまで届いた、船のエンジンの駆動音。
 『キツネ雨』が開店するまでを待つまでのあいだ歩いた商店街の一角、スナックや飲み屋が今は店を閉じている通りの、その森閑とした空気。坂の上から見下ろした空き地の、枯草の渦の真ん中でじっと動かずにいた猫の背中。アスファルトの上に残された、小さな肉球の形の凹み。ほとんど崩れ切った建物の足元に咲く菫の花に、錆びたトタンの塀。上っては下り、下ってはまた彷徨いだしていく。風は吹かずとも、ずっと大気のやさしい手ざわりが感じられるようで、海原は見下ろすたびに茫洋と光っている。どこへ辿りつくとももはや知れない。何を得られるとも分からない。けれどそれでいい。それでよかった。
 きっといつかにはまた、私は尋ねてゆくだろう。
 この穏やかな、空白を。


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