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【おさそい】 #書き手のための変奏曲

あらたな企画の告知と見せかけて、ちょっと今までのお祭りとは趣が違うお誘いをします。ハッシュタグ「 #書き手のための変奏曲 」は、お題企画というよりはマイルストーン(道標)のようなものです。
変化をつづけるnoteの街にそっと立てるマイルストーン。
歩んできた道のりを振り返るための目印。

なんの話かわからんよな。
どういうことか、補足説明を入れながら話をさせてください。

noteの住民の変化

ここ半年でnoteの街(といってもエッセイ・小説界隈のうち、私の周辺、狭い範囲の話)が変わったように感じませんか。
たった半年の話です。

私がnoteを始めた一年前は、noteは完成されたコンテンツを売る場所としてプロのクリエイターが使う場所、プロが自身の仕事をアピールするために使う場所。そしてプロを見上げつつ素人クリエイターが仕事を得ることを夢見て作品を置く場所、もしくは完全に趣味で作品を垂れ流す場所、そんな空気があったように思います。
これはあくまでも私の想像ですが、向上心や野望を持つ人にとってnoteは「エライ人」に見出されることを待ち「正解」を掴みにいく場所に見えていたのではないでしょうか。

コンテスト入賞やnote編集部おすすめ入りに過度に期待したり安直なノウハウを求める声がそこかしこであがっていたのは、その空気のあらわれだと思います。自身の創作に意味を見出す作業を他人まかせにしていたとも言えます。悪く言えば。

そういう雰囲気がいつの間にか、なくなっていませんか。
完全にゼロという訳ではありませんが、少なくとも見渡せる範囲において他人に評価を委ねる空気はかなり希薄になった気がします。

代わりにどうなっているかというと、多くの人が「権威のありそうなもの」や「正解とされるもの」に縋るのをやめ、それぞれ自分たちのしたいことをしているように見えます。もともとそうだった人もたくさんいますが、全体的な雰囲気がやっぱりちょっと変わったように感じます。
等身大の自分をみつめて創作する人が増えた。自分の意思で一緒にやろうよと呼びかけ、自分の意思で呼びかけに乗り/もしくは意思を持って呼びかけに乗らずに作品を生む人が増えた。

たくさんの「個」が主体的に動いて、たくさんの柔らかな「輪」が生まれている。それが副次的に、互いの表現の可能性を広げたり、技術を磨く動きになっている。

知らなかった世界がどんどん拓けていっている感覚があります。

(主体的=大きな声をあげる≒企画などを主催する、だとは思いません。意識的に「呼びかけに乗る/乗らない」こと自体が主体的な行動だと思います。みんながやっているから、これが正統派だからと流された場所で作品を作るのは受動的だけれど、意思を持って軸足を持ち作品を作るのは主体的な行為です。)

「はみ出し者」たちが作る世界

noteで知り合った人たちは「はみ出し者」メンタルを持つ人が多いように思います。みんなと一緒を良しとして、世界に疑問を持たなくて、与えられた娯楽を消費するだけの人は創作なんてやらないので、当然っちゃ当然のことですが。

教室の隅っこにいるような人、多数決に異論を唱えて浮くような人。社会性を身につけて上手く立ち回っていても根本的には「はみ出し者」。そんな人が集まっているように思います。

みんなバラバラ、好き勝手にやっています。
でも気づいたら、お互いに読みあったり、感想をかわしたり、サークルや私設企画をきっかけに交流したり、数人で手をとりあってnoteの街を飛び出し電子書籍出版や音声配信や動画配信を始めたり、「はみ出し者」同士が「はみ出し者」同士のまま関わりあうことで新しい創作の楽しみを生み出しています。

面白いです。はみ出し者たちが手と手をとり、新しい世界を作っていく様子。

その様子を見ていたら、どんどん欲深くなってきてしまいました。
私はもっと、もっともっとnoteの街が変わるのを見たい。

もっと自由にエチュードしよう

noteにはサポートをもらうのにふさわしい完成された作品、質の高い作品を置くべきだ。
作り手を萎縮させるこの考え方もたまーに聞こえてくることがありましたが、これも最近はあまり聞かないような気がします。
むしろ作り手自身が自分を追い込んで、常に「良いもの」を公開しなければならないとガチガチになっているパターンの方が多いのかも。

もっと開放的に習作(エチュード)を作りましょう。
きっとそれが、noteの街をさらに伸びやかに変化させるはず。

note運営さんはずっとそれを推奨していますし、気軽に練習しましょ。

名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。


#書き手のための変奏曲

ということで、ようやくの本題です。
今回はお祭り的な熱狂をおやすみして、じっくり腰を据えて取り組むタイプの企画。

期間を長く取りました。
今日から2021年7月7日まで、ちょうど一年後が締切日。
どんな企画かと言いますと、エチュード、習作を作る企画です。


エチュードといえば『教養のエチュード賞』主催の嶋津亮太さん。
嶋津さんは、仲高宏さん池松潤さんと一緒に公開フィードバック番組『#ブリリアントブルー』をYouTubeで配信しています。

第二回のゲストちぃころさんの、番組出演後に公開されたnoteがとても良くて。
『ブリリアントブルー』で掴んだヒントを元にアップデートされたちぃころさんの作品はこちらです。

前者は過去作のリライト、後者は外国語(中国語)で書いてみた作品を日本語に訳す試み。ぜひ読んでみてください。面白いので。

表現力を磨いたり幅を広げたりするための試行錯誤、そんな習作たちがnoteの街にあふれたら素敵なんじゃないかと思うのです。
書く人にはもちろん読む人にも良い影響があるでしょうし、単純に創作物として面白い。

ちぃころさんのように過去作のリライトや外国語で書いてみるのもいいですし、誰か憧れの書き手の文体模写をしてみるのもいいかもしれません。
(同じテーマのエッセイを美しい文体の嶋津さん風に書いてみたり、コミカルな文体の逆佐亭裕らくさん風に書いてみたりしてね。)
(文体模写をする場合は、元の書き手さんに敬意を持って。突然模倣するのに十分な信頼関係がないと感じているなら、勇気を持って連絡を取ってみてはいかがでしょうか。みなさん快くOKしてくれるはず。)

ひとりひとりの「輝く文章(表現)を見つける旅路」のマイルストーンとなるのが『#書き手のための変奏曲』です。

文章に限らず、イラストや漫画、写真も対象です。同じものをいろんな角度から作ってみる、作り直してみるならば手法はなんでも。

大盛り上がりするタイプの企画ではないですが、習作をnoteの街へ送り出すときに思い出してタグをつけていただけると嬉しいです。

■ 企画概要

ハッシュタグ:#書き手のための変奏曲

内容:自分の作品で習作(エチュード)を楽しむ。

・過去作をリライトする
・同一テーマで表現方法を変える(セルフパロディ、文体模写など)
など。自由に試行錯誤してみてください。

備考:エッセイ・小説・写真・漫画、なんでも可。
一人何作でもタグ付け可能。

期間:2020/7/7(火)〜2021/7/7(水)

なおリライト前後の作品など習作群が読み比べできるようになっていると読まれる方がより楽しめるかと思います。(強制ではありません)
例:リメイク後の作品に過去作へのリンクを貼る、過去作とリメイク作品を並べた記事を新規に作りそちらにタグをつける、など

セルフまとめマガジンを作ると便利です。ご参考までにどうぞ。


七夕、一年に一度の逢瀬の日。
今日からちょうど一年後の7/7に、集まった変奏曲を振り返る予定です。

七夕といえばベタさんのnote『織姫と彦星 ほんとのお話し(updated)』が面白かった。オチに笑ってしまう。
でも、ほんとそうだ。織姫と彦星、ベガとアルタイル。それは天文学的に見ると宇宙空間に存在する特別でもなんでもない数多の星のなかの2つに過ぎません。

人間も一緒。
生物として捉えれば誤差はあってもどの個体もほとんど同じ構造で、多少ドラマティックなエピソードを持っている人がいても、マクロな視点で見ると「ただの人たち」のうち1人。ごく稀にデネブ(※)のような突出した人間もいるけれど、ほぼ全員が「ただの人」。おそらくnoteの街にまだデネブは存在しない。
※ デネブ:ベガ(織姫)、アルタイル(彦星)と共に夏の大三角形を構成する恒星で、ベタさんのnoteに書いてあるように特殊な性質を持つ。

ただの人をただの人として観察する視点も面白いし、人と人との社会的関わりに物語を見出す視点も面白い。

人間も天体もよく似ていますね。


noteの街は宇宙でもある。
一年後のnoteは、どんな星が存在して、どの星と星とが繋がって星座を形づくり、どのような物語を生み出す場所になっているのでしょうか。

一年後の七夕にnoteの夜空を仰ぎ見るのが楽しみです。
数多の星が織りなすnoteの街の「きらきら星変奏曲」。
エチュードを重ねた先にそんな名曲が誕生していたら最高だと思いませんか。


追記:
一年経ったので振り返りを書きました。


♡を押すと小動物が出ます。