見出し画像

子どもが子どもでいる世界。マルグリットはなぜ、最後にマリーアントワネットを庇ったのか。


【はじめに】
この記事は2018年に上演されたミュージカル『マリー・アントワネット』についての私的考察を述べています。関連各所とは何ら関係ありません。また、作品があまりにも暗く厳しいため、原作の『王妃マリー・アントワネット』も読んでいません。その上での感想である旨を、あらかじめご了承ください。



少し前に、あるミュージカルが千秋楽を迎えた。


ミュージカル『マリー・アントワネット』


遠藤周作の小説『王妃 マリー・アントワネット』を原作とした物語で、2006年に初演、2018年に新演出版として再演され、今に至る。


私は2018年にこのミュージカルを二度、観劇した。推し役者を観るためにチケットを購入したわけだが、観劇する前から内心は、どんな舞台なのだろうとビクビクしていた。

なにせ、内容がマリー・アントワネットなのだ。



wikipediaで検索してはいけない。「フランス革命」という悪夢


マリー・アントワネットと聞くと、どんな想像をされるだろう。豪華絢爛なベルサイユ宮殿、贅沢を堪能する無知で無邪気な王妃。パンがなければお菓子を食べればいいじゃないとか、贅沢三昧で国家の財政を破綻させたとか、その結果、フランス革命で処刑されたとか。


「ベルサイユのばら」しかり、「1789」しかり、「スカーレットピンパーネル」しかり。フランス革命を舞台にした物語は数多あるが、史実としてフランス革命を学ぼうとすると、そのあまりの凄惨さに言葉を失うことがある。王妃への言われなき誹謗中傷、虐殺された侍女たち、革命万歳と叫びながら生首を掲げて行進する市民。物語に描かれる、華々しく気高い革命とは程遠い。のちに狂気の嵐と評される歴史的事象の幕開け。それがフランス革命だ。


マリー・アントワネットが無知であった、というのはおそらく正しい。彼女は他人を疑うことを知らず、世界は幸せで善良なものだけで作られていると信じていた。しかし、その無邪気さは飢えた民衆を救わなかった。彼女が悪意を持って国民を追い詰めたわけではないが、国民はそうは思わなかった。
「パンがなければ」はアントワネットの言葉ではないし、財政はルイ14世の時代から逼迫していた。国民が窮したのはアントワネット一人のせいではない。だが、批判は生粋のフランス人ではない「オーストリア女」であるマリーに向かった。

マリー・アントワネットの人生は、華やかさ以上に血塗られた悲劇と残酷さに溢れている。幕を下ろすのは、煌びやかな舞踏会ではなく、ギロチン。ハッピーエンドの要素はどこにもない。


加えて、原作は遠藤周作なのだ。『海と毒薬』では戦時下の日本で行われた人体実験を、『沈黙』では残虐極まりないキリシタン弾圧を書き綴った「あの」遠藤周作なのだ。マリーアントワネットと遠藤周作を掛け合わせて、決して「元気が出る」作品になるはずがない。

そこまで考えつつも、推しを見たいがために私はチケットを取った。
そしてビビりながら観劇し、見事に打ちのめされた。良作ではあるが後味のよい作品ではない。それがミュージカル『マリーアントワネット』に対する個人的な評価だ。人間を見事に描きながら、これほど人間不信になる作品も珍しい。



彼女が憎しみを手放す時。主人公の不可解な行動。


さて、そろそろ本題へと移ろう。


初見の時、私はどうにも理解できないことがあった。それは本作のもう一人の主人公、マルグリット・アルノーの不可解な「心変わり」だ。

マルグリットはパリに住む貧しい娘だ。その日の食べ物にも困るような暮らしをしている。彼女は、贅沢な暮らしをする王妃マリー・アントワネットや王族、貴族への強い憎しみを糧に、反政府運動へと身を投じていく。マリーを貶めるようなデマや中傷を広め、嘘の新聞をばら撒く。かの有名な「首飾り事件」を手引きし、王家の権威を失墜させ、最後にはベルサイユ宮殿に乗り込み国王一家を捕らえる。
マリー・アントワネットを是が非でも引き摺り下ろそうとする姿は、観客の背筋を凍らせるほどの憎しみに満ちている。人は飢えるとここまで残虐になれるのか。あるいは残虐にならなければ生きていけないほど、彼女の人生は過酷で苦しみで満ちていたのかと。マルグリットに対して抱くのは「革命を先導する女闘士の格好良さ」などではない。人とての柔らかで大切な何かを置き去りにして、怒りと恨みに駆り立てられる女性の痛々しさばかりだ。


マルグリットは終始、アントワネットへの憎しみを隠さない。

テュイルリー宮殿では、王妃であるマリーに向かって平然と「憎いからよ。あなたには分からないでしょうけれど」と言い放つ。九月虐殺で友人であったランパル公妃を無惨に殺され、打ちひしがれるアントワネットに対してでさえ「あんた達があたし達にそれだけのことをしてきたんだ!」と叫ぶ。我が子と引き離され、夫のルイ16世が処刑され、ずたぼろになったマリーの姿を見た時でさえ、戸惑いさえ見せるものの、同情や哀れみはない。それほどまでに、マルグリットの憎しみは深い。

油断をすれば自分が死んでしまう。明日食べるものにも困り、まともな暮らしなどできない。革命の前の世界に引き戻される。それを恐れるからこそ、マルグリットは王家を、そして王妃マリー・アントワネットをどこまでも憎む。


この頑なな憎しみこそ、人間の本性なのではないかと私は思う。

人と人とは簡単に分かり合えない。自己中心的な思いはどこまでも肥大し、自分を正当化しなければ生きていけない。支配する側を憎み、支配する側になりたいと望み、野心と欲望に動かされる。人の性(さが)というのは、生々しく愚かしいものだ。労り合うのではなく憎しみ合う。凄惨な悲劇は繰り返され、誰にも止められない。マルグリットの憎しみも、マリーとの確執も、どこまでも人間らしい。


しかし、物語の最後で、マルグリットが一度だけマリー・アントワネットを庇う場面がある。

アントワネットの公開裁判でのこと。彼女は革命政府から様々な罪を問われる。その中に「息子であるルイ王太子に対する近親相姦」というものがあった。濡れ衣を着せられたアントワネットは、革命家たちに向かって「なんという聞くに耐えないおぞましいことを」と呟きながら、毅然とその疑いを否定する。

その姿に、マルグリットはそれまで見せたことのない表情をする。食い入るように見つめ、体を小さく震わせる。傍聴席を埋め尽くした市民たちが誰一人としてアントワネットの言葉を間に受けていない中で、マルグリットは立ち上がり、動揺を露わにする。


初見の時、私はこの場面が腑に落ちなかった。

確かにこの場面は素晴らしかった。精神的にも肉体的にも極限まで追い詰められたアントワネットが、王族として生まれた責務を自覚し、自らの運命を受けとめ、目を見開き顔を上げるその姿は、王妃としての誇りと覚悟に満ちていた。それは観客の胸を打つものではあったが、しかしマルグリットはどうだっただろうか。あれほど憎しみを抱いてきたマルグリットが、ただ「王妃の誇り」という気高くも儚いものを見ただけで、王妃に同情的になるものだろうか。

傍聴席にいた市民や革命家たちが、誰一人として話を聞かず、心ない言葉をぶつける中で、なぜマルグリットはその輪の中に入らなかったのか。なぜその後、革命を扇動したオルレアン公を告発するに至ったのか。マリー・アントワネットへの憎しみを糧に生きてきた彼女が、その手を緩め、「私怨」ではなく、ある種の「正義」を抱いた。その感情の揺れが不思議だった。


一度目は理解できず、二度目の観劇でも腑に落ちず。あれやこれやと考えていた時に「あれ」と思いついたのは、その観劇の帰りだった。


良作だが後味のよくない作品を噛み締め、ぼんやりと電車の外の景色を見ていた時、不意に思ったのだ。「マルグリットは性的虐待の被害者だったのかもしれない」と。


重ねて断るが、私は原作の『王妃マリーアントワネット』を読んではいないし、マルグリット・アルノーという女性が実在していたのか、あるいはモデルとなる女性がいたのかも知らない。演出家や役者、作り手がどんな解釈をしていたのかも分からない。だからこれはあくまで、舞台を見た記憶を手がかりにした、私の個人的な意見だ。


マルグリットが動揺したのは、王太子ルイへの近親相姦の疑いがかけられた時だった。フランス革命が起こった18世紀。フランスのみならず、世界において児童の人権はどこにも存在していなかった。革命政府が「近親相姦」を罪状に入れるほどに、児童虐待や性的虐待は日常的に行われていただろうし、被害を訴えた子どもたちは更なる闇へと葬られていたのだろう。

12歳で路上暮らしを余儀なくされたマルグリットが、その被害者の一人であったとしても不思議ではない。身寄りのない少女が一人、パリの路地裏を生き抜く。そのためには。口にすることすら憚られるような日々を乗り越えなければならなかっただろう。マルグリットにとって、子どもが虐待されるのはごく当たり前の光景であり、それを見て見ぬふりをする大人もまた、日常にありふれた存在だった。


その唯一にして初めての例外が、国王一家だったのだとしたら。

タンプル塔に幽閉された国王一家を、マルグリットは監視し続けていた。狭い部屋に閉じ込められ、命の危険に怯えながら暮らす父と母と娘と息子。子どもを虐待する親も、それを放置する親もいない。ただただ、玉座を追われた四人の家族がいただけ。

もしかしたら、マルグリットは驚いたのかもしれない。夫を処刑され、子どもたちを奪われて嘆き悲しむアントワネットを見て。幼い子どもたちを、労働力でも、愛玩でも、歪んだ欲望の対象でもなく、ただただ「我が子」として愛し続けた一人の母親に。


だからこそマルグリットは、マリー・アントワネットの罪を否定したかったのかもしれない。「子どもを愛する母親」であるアントワネットに、嘘偽りの罪を背負わせたくなかったのかもしれない。たとえ他の罪は大声で糾弾したとしても、ただそれだけは違うと否定したかったのかもしれない。マリーアントワネットは無知で傲慢な王妃だった。だが純粋に子どもを愛した愚かな母親だった。



子どもが子どものままでいることの尊さ


先日、地震があった。幸い、私の住んでいる場所はほとんど被害がなかった。

ふと隣を見ると、一歳になる息子が寝息を立てて眠っていた。その無防備な姿を見ていると、途端に不安になった。もしも大地震が起こったとき、私や夫が死んで息子だけが生き残った時に、誰か彼を助けてくれる人はいるのだろうか、と。

保護者を失った子ども達は無力だ。息子はまだ1歳で、自分で食べ物を探すことも、助けを求めることもできない。私や夫がいなくなって、息子だけが残されたとき、彼はどうやって生き残ればいいのだろうか。災害の最中、健常な大人でさえも生き残るのに必死の中で、手のかかる赤子を助けてくれる人はいるのだろうか。


子どもは社会的弱者だ。一人では生きていけず、常に誰かの助けを必要としている。子どもにも人権が存在し、それが重要であると認識されるようになったのはつい最近のことだ。しかし残念ながら、すべての子どもが守られているわけではない。18世紀のパリ、路地裏でゴミを漁る子ども達は、21世紀の日本にも存在している。


子どもが子どもらしくあることは、それだけで価値のある、守られるべきことなのだということを、私は母となって初めて気づいた。そして子どもが子どもでいるためには、豊かさが必要なのだということも。

養育する大人たちの豊かさ、教育や医療を提供できる豊かさ、未成熟な子どもを独立した個人として尊重する豊かさ。物質的に豊かであるとされる日本でさえ、子どもらしく生きられない子たちはいる。

人の世界は弱肉強食ではなく「全肉全食」なのだと聞いたことがある。誰もが食べられ、誰もが食べる。その中で種として存続していくためには、淘汰ではなく、多様性の共存が必要になる。


一人の母親として、私は息子が一人取り残されても生きていけるような社会であってほしいと、つい願ってしまう。小さな子どもに手をさしのべる大人が、一人でも多くいる社会。自分もその中の一人でいるために、あるいはそんな社会を作るために、何をしていけばいいのかを自問する日々だ。



18世紀のフランスは遠い昔のことではない


革命後、フランスではロベスピエールによる恐怖政治がなされた。貴族や王族だけではなく、志をともにした革命家たちも次々とギロチンで処刑された。世界に名高いフランス人権宣言。そこに記された「すべての人」に女性は含まれておらず、女性の参政権を求めたオランプ・ド・グージュもまた、処刑台の露と消えた。フランスで吹き荒れたのは、自由な風ではなく粛清の嵐。フランス人女性が確固たる参政権を得たのは、1944年になってからだ。

フランス革命を生き抜いたマルグリットが、その後どのような人生を送ったのかは分からない。だが革命の興奮と喜びに満ちた人生ではなかったであろうことは、容易に想像がつく。新たな政府でも女性の彼女は弱者のままで、それを擁護するには社会は成熟していなかったことを、後世に生きる我々は知っている。

当時の人々を、現代に生きいる我々は野蛮だと感じるかもしれない。短絡的で、享楽的で、そして暴力的だと。しかし、それは果たしてそうなのか。現在でもなお、その日の食べ物にさえ困る人々や虐待を受ける人々もいる。それを黙認している社会もまた、続いている。18世紀に生きた人々の人間性と、21世紀を生きる私たちのそれが違うと、どうして言い切れよう。


どこまでの生々しく、どこまでも残酷。それが『マリー・アントワネット』という作品だった。まったく、まったくもって後味の良くない作品だ。それでもこの作品は紛れもなく良作であり、時代を超えて語り継がれるべき物語なのだと言いたい。芸術という形を借りて訴えかけるのは、愚かで懸命で悲しく醜い人々の姿。分厚い歴史書を紐解かなくとも、フランス革命とそれに関わった人や社会の闇が垣間見える。



遠い昔の物語を見ながら、足元に広がる暗闇に固唾を呑む。








スキ2


お心遣いありがとうございます。サポートは不要ですよ。気に入っていただけたら、いいねやコメントをいただけると、とても嬉しいです。