私の海
*あなたの海を悪く言いたいのでも、私の海を讃美したいのでもありません。漁師の娘が色んな海を見た感想にすぎませんので悪しからず。もしこれを読んでくださったあなたが私の海をご覧になったとき、どう思ったか教えてもらえると一人勝手に楽しい気分になります。
私は東シナ海のとある港町で生まれた。小学生のときは貝類や甲殻類が嫌いで「漁師の娘のくせに」と揶揄われた。祖父の家の前は入江になっていて、うちの漁船もそこに停まっている。潮風はすぐ自転車をサビだらけにするので、じいちゃん家に停めたマウンテンバイクは変速出来なくなった。通学路には海の生き物の死の匂いが漂っている。私はそれに生かされている。私の故郷も、それに生かされている。
海をイメージするとき、国が違えばそりゃもちろん海も違うだろうが、日本で育った人であればみんなが同じ海を想像すると思っていた。晴れた日は空より青く、沖に出る漁船が見える。水平線に夕陽が溶ける。友達と放課後に遊びに行く気軽さと、私を吸い込んでしまう恐ろしさの両方の顔がある。豊かで美しく、いつまでも私の故郷であり続ける東シナ海。みんながそういう海を思い浮かべるものだと思っていた。ちょうど、幼稚園のときに全て父親とは漁をしているものだと思い込んでいたのと同じだ。
漁師の娘は大学生になり、山陽地方に来た。初めて瀬戸内海というものを見たとき、なんだこの狭い海は、と思った。水平線が見えない。私は怖く、そして息苦しかった。なんだか梅雨の晴れ間みたいだ。密度があって、地元とは少し違う意味で海が近いと思った。海岸の防波堤の向こうはすぐ水があって砂浜がない。釣り人が多いのも納得できる。
密度の濃さゆえの息苦しさを抱えたまま、瀬戸内で社会人になった。もう8年も住んでいる。それでもここは、私の海ではない。海岸線を走るたびに思い知らされる。瀬戸内海が私を歓迎していないのではなく、私が東シナ海に生きる海老だっただけの話だ。
大学2年のとき、当時遠距離恋愛をしていた人が沖縄に留学しに来ていた。初めて一人で飛行機に乗り、前日に梅雨が明けたばかりの南国へ行った。まだ6月だというのにそこはもう真夏より暑く、あまりの湿度に蒸し人間になってしまうのではないかと心配になった。
同じ夏の8月にも遊びに行った。8月の沖縄は梅雨明けより幾分か過ごしやすく、私たちは勢いに任せて離島のビーチへ向かうフェリーに乗った。南国の海は透明だって、あれはテレビの話じゃなかったんだな。漁師の娘で海に囲まれて育ったが、足がつかないところでは泳げないので、どこまでも見える透明な海は怖かった。泳いで少し遠くまで行ってはみたものの、立ち泳ぎしながら足元を見た途端に溺れた。幼馴染が「漁師の娘のくせに」と言ったのが聞こえた。やはりここも私の海ではなかった。沖縄の海が私を拒んだのではなく、私が東シナ海を泳ぐ鯵だというだけの話だ。
学部を卒業する頃になって、コースのみんなと卒業旅行で鳥取に行った。コンセプトは「旅館でゆっくり温泉に入る」。鬼太郎ロードと鳥取砂丘と境港と、それからはわい温泉というなんとも贅沢でよくばりさんな一泊二日の最後の旅だった。私は初めて砂丘を踏みしめ、そして日本海と出会った。今まで見たどの海よりもスケールが大きく、さびしくそして怖かった。うちはサスペンスが好きな家族だったので、断崖絶壁を見て「なんか事件が起こりそう……」と思った。こういう海ってドラマの中だけの話じゃなかったんだな。
それから、元恋人の誕生日にも鳥取へ行った。少しいい旅館に泊まり、贅沢なお料理を堪能し、露天風呂に入りつくしてあとは眠るだけだった。隣で先に寝ていたあの人の、その頃にはすっかり慣れ親しんだ小さな寝息の奥から聞こえてきたのは、日本海の暗いざわめきだった。卒業旅行の砂丘で聞いたどどど、という重低音よりはいくらか控えめだったけれど、夜を引き連れてくるに相応しい深くて重たい波の音だった。その時ふと、海の生き物の死ぬ匂いが思い出された。憂鬱な音がこれまた陰鬱とした匂いを呼んできたな、と思ったが、隣ですうすうと規則正しく上下する胸元が私を現実に引き戻した。日本海は昼の顔と夜の顔でずいぶんギャップがあった。ここも私の海ではなかった。日本海が私を飲み込もうとしたのではなく、私が東シナ海で飼われる鰤だったという話だ。
2016年夏のハンブルク留学の、遠足として出かけたリューベックの海も、言うまでもなく私の海ではなかった。バルト海は夏だというのに私には寒く、お世辞にも水着を持って来ればよかったとは言えなかった。バルト海が私を夏の海から追い出したのではなく、結局は私が東シナ海のキビナゴだというだけのシンプルな話だ。
結局はすべて、私が東シナ海を私の海だと思っているというところに帰結する。海は私を拒んだりしない。壁を作っているのは私の方だ。海はどこに行っても同じだから安心できるという人もいるけれど、文字通り東シナ海に生かされている私にとっては全く別物に見えるし、よその海はどこか居心地悪く感じてしまう。それでも、ないよりはあった方が落ち着く。海の生き物の死臭が漂えばそこはもう実家のリビングで、私はあまりの心地よさにごろりと横になる身体を制御できない。
ここまでダラダラと私の海について書いたけれど、帰って働きたいと思わないのも述べておかなければなるまい。過疎の進む故郷にとって若い働き手が必要なのは痛いほどよく分かるけれど、私は幼少の時分からこの町で働くことはないだろうと確信していた。
私は故郷を心から愛しているけれど、狭い町にはどうしても留まっていられない。本当は東シナ海を恋しがって泣く小魚のくせに、どうしても大海を目指さずにはいられない。そして出た先で性懲りも無くぼんやり思うのだ、やっぱりここは私の海ではないと。自己矛盾のために古い町に戻れもせず、かといって新しい水平線を私の海と呼べるでもない。
私が海について考えるとき、私の海ではないが、私以外の誰かの海かもしれない、ということを忘れないよう努めている。瀬戸内で生まれた知り合いは、外洋は広すぎて怖い、と教えてくれた。きっとそういうことだ。あなたの海が私の海ではないように、私の海もあなたの海ではない。今度あなたの海の美味しい魚を食べさしてください。
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