心を救ってくれるものは、意外とたくさんある。
こんにちは。
前回のパンの記事にも、たくさんのスキや優しい嬉しいコメントをいただき、ありがとうございました。
単純なので、「私は周りからこんなに大切にされて良いのだろうか」などと狼狽えました。単純なところは、ほんとうに私の救いだなと思います。
そうそう。
と書いていました。
投稿への追加でもつぶやきでもないですがここへ写真を貼らせていただき、承認欲求の成仏をさせてください。
さてさて、今回は「心を救ってくれるもの」について。
悲しい しんどい イライラする 思い通りにいかない うらやましい どうしようもない いなくなりたい
などなど
認めたくないけど、自分のなかに確かに湧き上がってくる感情たち。
どのくらいのことがらで どのくらいの感情が起こるかは人それぞれですが、
誰しもが、抱えたり、付き合ったり、上手く手放したりしているものだと思います。
自分が恵まれていることは重々わかってるつもりだし、
私ではとうてい想像や共感し難いほど厳しい環境に置かれている方、もしくはそういった経験をされてきた方もたくさんおられると思います。
ですが、
「おまえの痛みなんて他の人に比べたらちっぽけなものだろう」では
自分のなかに起こる感情たちはどうにも済まされないわけで。
私はそういう感情で心がいっぱいになると、
ときには 思い悩んでとことん沈み、
深海のように真っ暗ななか 膝を抱えて自分ひとりぽっちみたいな気持ちになったり
はたまた どうしようもなくイライラして
まるでヤマアラシのように周りに当たり散らして自分でも歯止めがきかなくなったり
そんなふうになってしまうことがあります。
だけど、私はまだ、
諦めずに前を向いて歩いていくことにこだわっている。
そのために、いろんな感情に整理をつけることをしていきたいと、思っている。
だから、私はいろんなものに、心を救ってもらう。
力を借りる。
「心を救ってくれるものは、意外とたくさんある。」
そう、気づかせてくれた日について。
その日も、よく晴れていた。
noteでも、「自分時間がな〜い!」と行き場のない叫びを落ち着かせていたわたくしですが、
旦那さんへむすめをお願いして
奇妙礼太郎さんのツアーへ行ってきました。
ライブの前は、おきまり。
子連れでは行けないおっきな本屋さんへ。
普段は中古の文庫本ばかり買っていますが、
こういうときは、本との出会いも一期一会だと感じ、
以前から興味があった本、
今の自分の迷いのヒントになってくれそうな本、
そのときの心情でピンときた本を三冊。
そのあとは、
街中で働いていて普段は中々会いに行くことのできない、友達のお店へ。
新鮮な空気を貰って、
晩ご飯におすすめのお店も教えてもらい、路面電車へ乗る。
休日で人が多い車両の中で、
ぼんやり広島の街の景色を眺めたり、本を読んだりすることだって
私にとっては心を救ってくれるものになる。
敢えて会場まで少し歩かなきゃならない駅で降りる。
すぐにコンビニを見つけて、缶ビールを買う。
発泡酒じゃないやつ。
友達に教えて貰ったお店(テイクアウトのサンドイッチ店)に寄ると、ラストオーダーに8分間に合わなかった。
コンビニへ寄らなきゃよかったかな などと思いながら歩いていると、
川沿いにいい感じの公園を見つける。
ベンチを見つけて、缶ビールを開ける。
この写真を撮って、
お気に入りの麻のオールインワンに
これまたお気に入りの柔らかい革のパンプスを身につけていることに、改めてウキウキする。
とっておきのパンプスは、こういうときにしか履けない。
そうして、さっき本屋さんで買った本を半分まで読み進める。
いつかの楽しみに買った本をすぐに読めることにもまた、幸せをおぼえる。
アルコールのおかげですこし上機嫌になり、
ライブ前に晩ご飯にありつけなかったことは忘れて会場に向かって歩き始める。
並木道で、空を仰いで「ああ、きれいだな」と思う。
右側に立ち並ぶアパートのベランダに、布団が干してあるのが見える。
住人らしき人の咳払いが聞こえる。
ふと生活を思い出し、旦那さんとむすめはどうしているだろうか、と思う。
旦那さんへ、「ありがとう」と電話をいれる。
会場は、そのまま川沿いの気持ち良い道を少し歩いた先にあった。
開場時間ぴったりに到着する。
後ろの方かな?と思っていた自分の整理番号は意外とすぐに呼ばれて、
「サンドイッチ店が閉まっていたのはこれに間に合うためだったのかも」とさえ思う始末。
浮かれている。
友人の結婚式以外で初めて入る教会に、息を呑む。
ここでこれから奇妙さんに会えるのだということに、胸が鳴る。
いよいよ、ライブが開演した。
会場は、冷房がガンガンに効いて寒かったが、
久しぶりに聞く奇妙さんの生歌、
嘘みたいな声に、そのことも忘れた。
音源は普段もたくさん聞いていたけど、
生の奇妙さんは本当に、嘘みたいだった。
( 本当に嘘ってなんだ。)
なんだろう、
音楽というものは、
脳天から私の身体に入り込んで
指の先までひたひたに染み込んでゆき、
身体から出ていくときには
記憶も一緒に奪っていくのかと疑うほどに覚えていないのだけど、
一曲目は確かこの曲だったと思う。
このアルバム、『たまらない予感』からの楽曲が多かったかも?
なにせ悔しいほどに、覚えていない。
教会という場所も相まってか、
目の前で繰り広げられていることが
夢か現実かわからなくなっている間に、
二時間弱の開演時間はあっというまに過ぎていった。
アンコールは、奇妙さんの計らいなのか、
最高のシチュエーションで
サン・トワ・マミーを歌い上げて終わった。
最後にワンマンを見たのは、
もうどれくらい前だか思い出せない、
大阪のムジカジャポニカ。
その時の面影さながら、
歌うときの首の動きも、
その場にいる人の心を攫っていく抑揚も、
その圧倒的な歌とギターを携えて、
奇妙さんはへらへらと笑っていた。
彼はずーっと、変わらず真面目に、楽しいことをしている人だと思い、
今の私にとってそういう存在はとても ほっとするものだった。
帰ろうすると、
出口でサイン会があるとのアナウンスが。
少し並んでみたものの
視界の隅でCDにサインして「わあ、嬉しいな。ありがとう。」とお客さんに手渡ししている奇妙さんの姿を捉えて、
自分があの向かいに立つことが想像できなくて、
こんなにたくさんの人が奇妙さんのサインが欲しいのだということだけでお腹いっぱいになって、
結局「サインを貰うのはなんか違うな」と思い、
会場をあとにした。
帰り道は、高揚感しかなかった。
今なら何でもできそうなのに、
自分は誰よりも弱いような、変な気持ちだった。
さっきまで私を浸していた音楽は
ベールになって、まだ私に纏ってくれていた。
人気がない橋の上を、鼻歌まじりに渡って帰った。
一瞬、このまま駅まで歩いて帰ろうかと迷ったが、
所要時間を調べ今頃むすめとテレビを見てるであろう旦那さんを思い、路面電車に乗った。
少しずつ、現実に戻る準備もちゃんとできていた。
駅に着いてもまだ八時だったので、
立ち飲み屋でさっと晩ご飯を食べる。
おでんと牛もつ煮が、
冷房で冷え切っていた身体に沁みる。
乗る予定の電車に間に合うように店を出て、
九時半には家に着いた。
旦那さんは「せっかくだからもう少し遊んできたらいいのに」と言ってくれたけど、
私は私の意思で母に戻った。
余韻に包まれて、むすめと眠りについた。
腕の中のむすめはあたたかくて、「ありがとう」と思った。
*
自分次第でどうにでもなることばかりなのに、
勇気がないばっかりに どうにもならない毎日で
そんな自分に嫌気が刺すこともあるけど、
これからも私はたくさんのものに心を救ってもらいながら、前を向いて歩く。
奇妙さんがライブで歌っていたあの曲のように、
私は、心を救ってくれる術をいろいろと知っている自分のことが、
割と好きだな、と思う。
追伸
"人生で本当に忘れられない人" ってきっといると思うんですけど、
私は失恋したとき
天才バンド /『君が誰かの彼女になりくさっても』を聞いて
号泣していました(笑)。
定期的に聴きたくなる。
単純に楽曲として好きなのでぜひ聞いてみてください〜
お読みいただきありがとうございました。
皆それぞれ、心を救ってくれるものに出会えますように。