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「○○はもう古い!」に思うこと

何事にも、コンテンツを発信する場合、目を引くようなタイトルが不可欠な時代になってきたように感じています。

それは、結局のところ情報過多な時代であり、そんな中で目立つためには、結果的に刺激的なタイトル付けをするなり、過激な表現や不安を煽るような表現。

はたまた、あたかも「自分のためのモノ」だと思いこませるように仕向けられているような気もします。


本題に戻ります

割とそんなタイトル付けの中で、

「○○はもう古い!これからは△△だ!」

みたいなものを見かけます。

「確かに事実だな」と感じて学びになることも多いです。

ミーハーであり、何となく新しい情報を入れておかないと不安になりがちな私には、この手のタイトルのものには、ついついアクションをしてしまいます。

とはいえ、その内容を読めば読むほど、聴けば聴くほど『そもそもその古いといっている○○のことをちゃんと知らずに、経験もせずに、新しいものを提唱しているな』と感じる場合もあります。


古い○○についてのメリット・デメリット

に、まったく触れていない場合には、その時点で読むのをやめてしまいます。

デメリットをカバーするため、もしくは違うアプローチで改善するために、新しい△△は提唱されているはずなので、そこを正しく語れていない場合に、先ほどの「古い○○をそもそも知らない」と判断してしまいます。

ただシンプルに「△△という、こういう考え方や仕組み・ロジックがある!」と言われた方が、自然に受け止められます。

そして、ああこれは「○○に少し似ているなあ」とこちら側でも解釈出来るので、こちらの方が有り難いです。

私も私なりに、ミーハー道を20年歩いてきているので、そんな簡単には飛び付かないです。

ちゃんと歴史を知りつつ、新しいものを知る。

でないと失敗することは、それこそ歴史が証明していると思うんですけどね。

一番良いのは、進化の道程を学びながら、ですかね。


コジマサトシ/トナリコネクト

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