読んだ本の話その2
本の紹介をしています。
本編を一部引用しているのでご承知ください。
前回は敬体で書きましたが、本文は常体の方が書きやすいかなと思ったので、最初だけ敬体で、本文は常体にしています。
良いやり方を探りながらこつこつとやっていく予定です。
以下本文です。
私とは何かーー「個人」から「分人」へ(平野啓一郎)
小説家の作者が書いた本。
エッセイと呼ぶよりは評論と呼ぶべき内容なので、やや固い話ではある。
生きていく中で、「ありのままの自分」とか「本当の自分」ということを考えたことがある人は世の中に一定数いると思うが、まさにそんな感じの話題が中心になる。
個人的には、この本を読むことでなんだか生きやすくなったと感じられた。
作中では「分人」という概念が提起され、話の中心となる。
「本当の自分」とは「変わらないひとつ」のものである、という考えに抗するもので、その意味合いとしては「ある人の前で演じる自分」のことを指し、その総和が「本当の自分」である、と意味付けられる。
身近なところで考えてみれば、親の前で見せる自分と、職場で見せる自分は当たり前のように違うし、友人の前でも、友人に応じて違う接し方をしているのだから当然の捉え方とも言える。
本編を一部引用する。
分人という単位を採用すると、いったい何が変わるのか。
私が最も変わったと実感しているのは、他者に対する見方である。
自分は、分人の集合体として存在している。それらは、すべて他者との出会いの産物であり、コミュニケーションの結果である。他者がいなければ、私の複数の分人もなく、つまりは今の私という人間も存在しなかった。鏡に向かって、勝手に色んな自分になるのは不可能である。なぜなら、リアクションが決して、想定を超えないからだ。
中には、ポジティヴな分人もあれば、ネガティヴな分人もある。なるべくなら、ポジティヴな分人だけを生きていきたいものだが、現実の込み入った人間関係の中では、なかなかそうもいかない。不本意ながら、あまり生き心地の良くない分人を抱え込んでしまうことは避けられない。
イヤな自分を生きているときは、どうしても、自己嫌悪に陥ってしまう。あの人と一緒にいると、どうしてこんなにイライラするんだろう?なんであんなにヒドいことを言ってしまったのか?
あの会合に出席すると、急に臆病になって、言いたいことも言えない。
しかし、分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴは、半分は相手のせいである。
無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである。そう思えば、相手への感謝の気持ちや謙虚さも芽生える。人は一人では生きていけない、ということもよく言われるが、それは、何かの時に助けてもらえるだけではなく、私たちの人格そのものが半分は他者のお陰なのである。
一部を引用するだけでは全編を読むのに比べて、理解しづらいとは思うが、多少は理解できる部分もあるのではないか。
本編ではこのような分人という観点から、自身を見つめ直すような話題に展開される。(もうこれ以上説明するのは難しいので読んでください)
人間の生き方も、考え方によるところが大きいとは思う。
その考え方が少しでも良い方向になる助けを与えてくれる、そんな本だった。
(余談)
ちなみにこの本を読むきっかけになったのはプロサッカー選手の小笠原佳祐選手がたまたま紹介してるのを見たからです。
読んで大正解でしたけども。
なんならご本人が書かれたnoteもあります。
他人が「この1冊」と推している本は大抵良い本が多いので、イチオシの本があったら読んでくれた方も教えてください。