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嫌な所が見えてから

現在、午前3時半。

なぜこんな時間に書いているのかと言うと、眠れなかったからだ。

僕は大体日の出と共に起きて、夜は遅くても22時には寝てしまうのだけれど、実は今日は楽しみにしている事がありワクワクしてしまって眠れないのだ。

布団に潜りながらスマホをいじってSNSを見ていたけれど、段々目も疲れてしまったのでいっそのこと起きてしまおうということで今このnoteを書いている。

北海道生活も2年目に突入し、2回目の冬を迎えた。

今のところは雪ともうまく付き合っていけている気がしているが、まだ本当に怖い吹雪には遭った事がない。

5年くらいは過ごしてみないと、なかなか土地の気候を最低限理解することすら難しいのかな、と思う。

しかしながら移住して2年も経つと、当初に抱いていた新鮮さは無くなっているのも事実。

当時は車で30分で行ける所を動物がいる度に止まってしまい、2時間くらいかかってしまっていたが最近は少し止まって見る程度で、段々と物珍しさが無くなってきているなと思う。

それは自分にとって良い事で、1年目はどこか旅をしている感覚に近かったからここからが本当の北海道生活の始まりなんだなと思っている。

そして年月と共に、様々なことを知り、経験していく中で決して良いことだけでない面もたくさん知っていくこととなった。

仕事や人間関係で、色んな人の嫌な部分や不満が自分の中で湧き出てきていた。

去年の秋頃、あまりに理不尽な事が続いて精神的に少しきつい時期があって、家族や友人に話を聞いてもらったりしながら過ごしていた時期があった。

20代の頃の自分は、不都合な事が起きると周りのせいにしたり環境のせいにしたりすることが多かったように思う。

けれど30代になって、特に北海道へ移住してからは嫌なことが見えてからが本番だと思うようになった。

思えば、家族や親しい友人、恋人や一緒に暮らす犬達であっても必ず嫌な所はある。

でもそういった欠点も含めてその人と付き合っていた。

それはどんな関係でも、相手が物や土地であっても同じ事だなと思う。

嫌なことをちゃんと受け入れて、それでもその相手や土地としっかりと向き合い続けることでまた新しい世界が見えてくるような気がする。

そしてそうやって過ごしていくことで自分もまた周りの人に受け入れられ、時に反発をもらいながらもこの地で生きていく事ができるのだろう。

僕はありのままという言葉があまり好きではない。

ありのままに生きよう、ありのままに過ごそう。

この言葉は一見すると聞こえはいいかもしれないが、とても自己中な言葉に思えてしまうからだ。

相手や自分自身のために、成長しようとすることはとても大切だし、欠点があるのなら直していくべきだと僕は思っている。

でもそれでも人間だから完璧にはいかない。

必ずどこかで綻びが出来てしまう。

でもその人が一生懸命相手や自分自身と向き合っていることが伝われば、失敗や欠点も愛する事ができるのではないかと思う。

それを「自分はありのままでいる」と言って放棄してしまう人にはなりたくないのだ。

今後もきっと色んな人と出会い、色んな景色と出会い、その中で良いところや悪いところもたくさん知っていくだろう。

その時にすぐ蓋をしてしまうのではなく、その欠点すらも愛せる何かを見つけられるまで、ちゃんと向き合っていきたいなと思う。

そう思えるようになったのもきっと、本当に僕はこの土地やここで暮らす人たちが好きだからなんだと思う。

完璧な人や完璧な場所なんかない。

でもそこに住むと決めたなら、付き合うと決めた人なら、嫌なところも全部含めてちゃんと見ていきたい。

そして自分自身もまた、欠点だらけの人間であることを自覚して、それでもきちんと愛してもらえるように、認めてもらえるように、ちゃんと自分とも向き合い続けて相手の為に改善できる所を見つけていきたいと思う。

人は一人では生きていけない。

その言葉の意味を、特に今の場所で暮らし始めてから、腹に落とし込もうとしている。

ちゃんと向き合える人間でいたい。



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