写真を撮る痛みについて
僕は写真が好きだ。
色んな感情やその人の内面をもたった1枚の紙に映し出してしまう写真がとても好きだ。
簡単で誰にでもできる写真が好きだ。だけど知ってみると奥が深い写真が好きだ。
20代で写真を撮り始めて、僕はずっと動物や自然を撮影してきた。
時に海外まで遠征に行って、ついには北海道の田舎で小屋暮らしを始めてしまった。
それもこれも全部、自然が好きで動物が好き、写真が好き。というのが原動力になっている。
標茶町へきて、町と一緒に様々なお仕事をさせて頂いている。
その中で、標茶町には古くから今もなお受け継がれている伝統や暮らしがたくさんあることを知った。
そうした町の記録を残しておこうと、僕は標茶町に住む色んな方を訪ね、写真を撮らせて頂いた。
その中で抱いていた感情があった。
それは「写真を残す」という行為についての傲慢さだった。
僕は昨年、塘路湖のペカンべ採集の様子を撮影させて頂いた。
塘路湖にはペカンべという菱の実がなり、かつてのアイヌの時代からその実を食べていた。
主に女性の仕事だったようで、しかしながら今日ではペカンべを採る人は減り続けていて、今では数人しかいないという。
その話を聞いた僕は、いつか消えてしまうかもしれない文化を写真で記録しておきたいと思い、撮影をお願いした。
塘路の土佐さんは普段から親しくさせて頂いている間柄でもあったので、取材の許可はすぐに頂けた。
そして撮影した写真がこちら。
エンジンもなく、静かな朝の湖面に浮かぶカヌー。
網なども使わず、手で採集する環境に対しても極めてローインパクトな方法。
僕は写真を撮っている時に悠久の時に思いを馳せていた。
昔と何も変わらない、時間が止まったような美しい光景だった。
だけれど、その時から僕はずっと複雑な感情を抱えていた。
土佐さんにとって、ペカンべを採集することは何も珍しいことではなく、当たり前のことだった。
その当たり前を、僕たちは勝手に消えゆくものとして物珍しく捉え、写真に残したいと思うのはあまりに傲慢なのではないかと思った。
僕たちはしばしば、伝統や文化を勝手に古いものとして今の自分達の現実と隔ててしまう時がある。
僕に撮っての非日常は彼らにとっての日常なのだ。
当たり前といえば当たり前なのだが、それをポッと移住した僕が写真に残そうというのはあまりに傲慢な気がしたのだ。
もちろん土佐さんからはそんなことを言われたわけでもなく、僕自身が自分で勝手に思ったことだ。
自分の中の何かが、自分の行為を許せないような感覚があった。
それでも写真に撮りたい、残したいと思う気持ちに嘘はないのだ。
いつかは消えてしまう文化かもしれないというのも事実だろう。
だけれど僕が感じたこの違和感を自分でどう納得させれば良いのかわからなかった。
だけれどある時、行き着いた答えがあった。
それはNETFLIXで映画「MINAMATA」を見ていた時だった。
MINAMATAは写真家ユージンスミスがかつて日本で起こった水俣病の水害汚染を世界に知らしめた時の様子を描いた映画だった。
写真が好きな僕は迷わず映画館で見て、NETFLIXでも見返したくなって見ていた。
その中でユージンスミスのこんなセリフがあった。
「かつてのアメリカンインディアン達は写真を撮られると魂を抜かれると本気で信じていた。だけれど、他にも秘密があるんだ。」
「写真は撮る者の魂の一部も奪い取る」
「つまり写真家は、無傷ではいられない。だから写真を撮るなら、本気で撮ってくれ」
この言葉を見た時に、自分の中でのペカンべを撮った時の記憶と重なった。
そうだ、写真を撮る自分にも「痛み」が伴わなければいけないんだ、と。
写真を撮りたいからと、おいそれと行ってただシャッターを切れば良いといいうことではないのだと。
写真を撮るには、その写真を撮るだけの痛みを背負い、資格がなければならないのだと僕は思った。それは責任と置き換えても良い。
写真を撮る責任をきちんと果たせているのか…
僕が出した答えは、シンプルだった。
それは、ちゃんと被写体とコミュニケーションを取るということだった。
写真を撮りたい時にだけ顔を出して、写真を撮らせてもらったらすぐに帰る。そんな姿勢は自分は楽かもしれないが、それではダメなのだ。
普段からちゃんと町の人たちとコミュニケーションをとり、ちゃんとそうした時間をゆっくりとかけて、その上でちゃんと写真を残す。
それが僕が写真を撮る上で負う痛みという名の責任だと思った。
そう考えると、これまで無意識にやっていたことでもある。
町民の方々に入っていき、仲良くなって、自分というものを知ってもらって、相手をよく知って、そして取材をする。
打算的にやっているわけではない。
単純に僕はこの町に暮らす人が大好きだなのだ。
そうして考えていくと、自分がなぜ自然写真を虹別でしか撮らないのかも理解できた。
自分がきちんと写真を撮る痛みを背負っているのは虹別だけだからだ。
虹別の1番奥地で暮らし、虹別の自然と共に暮らしている。
虹別の厳しい自然も、美しい自然も、不快な自然も、心地良い自然も知っている。
ちゃんと痛みを負えていると思った。
その痛みを知っているから、虹別で写真を撮りたいと願う。
僕はそれで良いと思った。
ある人が「写真は祈りだ」と言っていた。
自分にとって写真は祈りとまではいかなくても、ライフワークというよりは信仰心に近い。写真を撮ることは信仰することにとても近いのだ。
今後、別の地で撮るときもあるだろう。またアラスカにも行きたいし、世界中を回って撮りたいテーマもある。
その写真にはちゃんと自分の痛みがあるのだろうか。
僕の大好きな写真家の星野道夫さんは決してすぐにカメラを取り出すことはなかったという。
被写体をじっくりと観察し、何かを考え、自分の中に落とし込んでから写真を撮っていたという。
それはきっと、彼もまた被写体を撮ることの責任を無意識のうちに考えていたのではないかと思った。もちろん星野さんと自分を同列に語るつもりは全くない。
どこにいても、何を撮っても、自分の写真には責任を持ちたいと思う。
例え数日しかいられない未知の地であっても、そこに住む人々や動物、植物達にはそこが日常なのだ。
それを外から撮影することの責任と痛みを、僕はちゃんと自覚し続けたいと思う。
それはその地や人々ときちんとコミュニケーションを取ることであり、その文化や自然、歴史、土地に心からの敬意を表し、行動することである。
きっとそうした痛みをきちんと背負えれば、どこに行っても僕の写真は僕自身が許せるものになると思う。
誰でも簡単に撮れて、誰でも簡単に見せられる写真になったからこそ、ちゃんと考え続けたいと思う。
ちょっと長くなってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
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