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わからないという人
僕は人と話すことが好きだ。
人と話して、その人が何に熱を持っているのか、その話を聞くのがとても好きだ。
とりわけ自分が興味のあること、知りたいことを知っている人には僕は積極的に会いにいった。
ドッグトレーナー時代にも、アメリカへ直接施設を見学に行ったり、何かわからないことがあれば専門家の方に聞きにいくのが常だった。
当時ブログを見漁って、この人は凄そうだと思ったらすぐに連絡を取り、会いにいった。
その中でも僕が特段信頼している2人のドッグトレーナーの方がいて、その人に聞けば犬の気持ちがわかる!と意気込んで2人から色んなことを学んだ。
2人は本当に犬と会話ができていて、犬たちも穏やかでまとまりがあって、それぞれに役割があって犬たちもその役割に誇りを持っているようだった。
ある犬は群れのまとめ役、ある犬は群れを和ませる役、ある犬はボスのようにどんと構え、何かあるとすぐに叱りに行く役。
初めて見た群れと人のやり取りに感動を覚え、僕もこんなふうになりたいと強く願った。
その中でふと僕が、「○○さんて犬の気持ちがわかって本当にすごいですね」と言ったら
「全然、犬の気持ちなんてわからないよ。わからないから、知ろうとしてる。わからないから追いかけ続けたいって思う。」
そんなことを言われてとてもハッとしたことがある。
本当に何かを突き詰めている人というのは、結局のところ「わからない」という気持ちが原動力になっているように思う。
それ以降、僕は色んなジャンルの方に会ってきたけれど、尊敬できるような方は決まって最後には「わからない」と笑いながら言っていた。
僕の大好きな漫画、銀の匙でも同じような場面があって、主人公が馬の調教師さんに向かって
「馬の気持ちがわかるなんてすごいですね」と声をかけると
笑いながら「馬の気持ちなんて完璧にわかるわけないっしょ!学生さんは夢があっていいねえ」と笑い飛ばすシーンがある。
続けて「馬は人間の気持ち1つで一生を左右されるんだもんなぁ。馬の気持ちが完璧にわかったら、俺ら気がおかしくなるかもしれん」と話していた。
このシーンはとても記憶に残っていて、僕の中でさらにわからないということの大切さを学んだ気がした。
その後、北海道に移住してからはネイチャー系の人たちと会う機会も多く、彼らは皆その道のエキスパートだった。
その中でも印象的だったのは、標津の仁科さんと初めて川でお会いした時だった。
仁科さんは魚が好きすぎて北海道へ移住し、毎週のように仕事の合間を縫って各地の川や海へいき、魚の調査やご自身で釣りも楽しんでいる。
生粋の魚好きだ。
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仁科さんとはお互いの自然観も近く、年も近かったのですぐに打ち解け色んな話を聞かせてもらった。
彼の魚への愛情や知識は凄まじく、僕の質問に全て詳細に答えてくれた。
秋の冷えた川にドライスーツを着込んで何時間も待機するなど、その根性も凄まじい。
そんな彼にサクラマスや鮭のことを色々と質問している時に彼がこんなことを言っていた。
「いやぁ色んなこと言われているんですけどね、結局のところよくわからないんですよ。魚に直接聞いてみたいなって思います」と笑顔で言った。
同じだった。
僕はその言葉を聞いた時、あぁこの人もやっぱり本物の人なんだと心底思った。
わからないから探求し、わからないから面白いのだ。
昨今のSNSや、実際に会った人の中でも、○○はこうだ。と決めつけてしまう人が多いなと思う。
写真とはこうだ。犬とはこうだ。自然とはこうだ。人生とはこうだ。○○とはこうだ…
そんな人達もいる中、彼らのような本当に何かを突き詰めている人というのは絶対に断定をしないし、自分は何もわからない、まだ何もしていないと皆が言う。まるでそのわからなさを楽しんでいるようだった。
僕もそんな人たちに憧れ、また自分自身もそうありたいと思っているし、わからないことを大切にしたいと思っている。
わからないから面白い、自分の中の「わからない」の答え合わせを僕はこの先もずっとやっていくのだと思う。
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