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大きな時間を、感じていたい

時間というものはとても不思議なものだなと思う。

誰もその存在を見たことがないのに、誰もがその存在を疑わない。

確かに時間とともに変わっていくものがあるから、僕たちは時間を感じることはできる。

それでも時間は、時に早く過ぎたり、時に遅く過ぎたりする。

退屈な時間はとても長く、大好きな人と過ごす時間は本当にあっという間だ。

感じ方で時間の流れは確実に変わっているように思う。

昔、60近くなのにとても若々しい方がいて、本当に羨ましくてどうしたらそんなに若くいられますかと質問したことがある。

「大好きなことをしていると時間の流れが早いだろう。逆に退屈なことばかりしていると、時間の流れはとても遅い。俺は人生で好きなことしかしてこなかったから、まだ一瞬しか時が過ぎていないんだ。退屈なことをし続けたやつは若い時から老けていった」

今でもその時の会話をよく思い出す。つくづく自分も好きなことをして生きていこうと思った。

社会人になって、時間に追われることが増えた。

何時までに何を終わらせ、何時までに昼を食べて、何時までに帰って、何時までには寝る。

そうやって時間を逆算して考え、そしてまたそれが当たり前だと思って日々を過ごしてきた。

20代の時に、アメリカへ行った。ロサンゼルスからサンフランシスコまでヒッチハイクで移動して、たくさんの人の優しさに触れた。

アラスカへも行った。そこでもたくさんの出会い、驚きがあった。

アラスカの小さな町のレストランで朝ごはんを食べていた時に、ふと気がついたことがあった。

旅に出て、今日何が起こるかわからないという1日を過ごしていて、朝ごはんを食べていた時は、朝ご飯のことしか考えていなかった。

目の前に出された大きなソーセージとサラダとスクランブルエッグ、そしてバターたっぷりのパン。いかにもというアメリカサイズのご飯。

その時は、その朝ご飯のことしか考えていなかった。

会社員だった頃は、朝ごはんを食べながらも意識は今日やることへと向いていた。

今日何が起きて、何をしてというのは既に大体予想がついていて、それを追いかけるような日々だった。

でも、旅をしている時は今この瞬間のことしか考えられなかった。

もしかしたらこれが今を生きてるってことなのかなと思った。

北海道へきて、仕事も始まった。

色んな人たちと出会い、仕事をもらい、たくさんの仕事をした。

仕事の合間を見つけて、早朝や休みの日は山へ行った。

ふと自然を感じたくなった時にはすぐ近くの国有林へ散歩へ出かけた。

山や森で過ごす時間は、社会とは隔絶された時の流れを感じさせてくれた。

僕たちはいつも、社会的な時間の中で生きている。

〇〇月、○曜日、○時。○○歳。

そうやって社会的に作られた時を刻み、そしてそれが全てだと思い込んでしまう。

しかし自然の中にどっぷり浸かると、いつもとは違う、もっと大きな時の流れを感じることができる。

大袈裟に言えば、地球の時間だ。

すべての日常の中での社会的な悩みがどうでも良くなってくる。

○○月だからこれをやる。○○歳だからこうする。○○時だからこれをする。

そんなこと全てがどうでもよかった。

目の前に流れている大きな時間の中で、ただ生きてさえいればよかった。

ただ、風を感じてさえいればよかった。

ただ、空腹を満たしさえすればよかった。

自然の中にいて感じることができる時間の流れは、僕を大いに安心させてくれた。

社会的な見えない圧力に、気づけば囲われている自分がいた。

もっと大きな時間の流れを感じて、もっと物事を大きな視点で捉えて、それでいいんだと思った。

もちろん社会的な時間を持つこともとても大切だ。

実際問題、お金は必要だし、人は人と社会的なつながりを持つことで生きていける。

だけれど僕の尊敬している人たちは一方で社会的な時間を大切にしながらも、どこかで社会とは別の時間、もっともっと大きな時間の流れを感じている気がする。

そしてその大きな時間の流れの中で、自分の役割や人生を選択していっていた。

僕の大好きな星野道夫さんも、もう1つの時間という一節の中で大きな時間の流れを感じる大切さを書いている。

幸いなことに、大きな時間の流れを感じるチャンスは、ここ北海道にはたくさんある。

特に僕のような自然のそばで暮らしている人たちにはたくさんのチャンスがある。

動物や植物たちや犬達のように、すぐ近くに生き方の手本となる存在がいてくれることが、北海道へ来て1番嬉しいことかもしれない。

社会的な時間だけに捉われず、もっと大きな視点で、自分の人生を生きていけたらと思う。

そうしないと、自分が自分で居られなくなるような、そんな気さえしてくるのだ。

ある人は僕を社会不適合者だと言う。

またある人は世捨て人だと言って笑う。

でもある人は、そんな僕の話を真剣に聞いてくれる。

真剣に答えてくれる。

それで良いんだと、思った。



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