上手く食べられないことの下に埋まっている課題。

食べることというのは、栄養を補給するということだけでなく、自分の選択した物を食べるということを摂食障害になってから知った。
摂食障害というのは、食べることだけに問題があるのではなく、あらゆる自分の選択をどうしたら良いのかわからない表れでもあることを、治してきて知った。

漠然とした話。自分の”これがいい”と言う感覚を押し込めて、暫く他人の”これがいい”の元で体と心を動かしていると、自分の”いい”が、わからなくなってくる。その後、悔い改めて、他人の”いい”をシャットアウトできるようになっても、自分の”いい”を見つけられないままだ。
はっきりしているのは、「それは、あなたの物。私の物ではない。」ということ。
だけど、私の”いい”はわからない。
だから他人の”物”を貰わなくなっても、自分の”物”が分かっているというわけではない。

摂食障害に当てはめる。
今も、時々、食べ物を胃に入れて、「異物を入れてしまった」と感じる。
「私の物じゃないものを入れてしまった」と。そうすると、混乱する。気持ちが悪くなる。
”食べたくないもの”はわかってきた。だけど、「今日は◯◯の気分」と食べたいものを察知する感覚は、まだ育成中だ。
でも大きな進歩も遂げている。お腹が空くという感覚がようやくわかってきた。
「食べること以外は、今の私の問題ではない。今、私にとって問題なのは、お腹が空いていることだ。」と。

なんで、摂食障害になったのか。自分の中を旅して、その訳を未だに追っている。
食べられなくなったことが相当ショックだったからだろう。
1つの理由は単に痩せたかったから。痩せると褒められることは習い事で学んだ。
痩せることは自分を管理できている、だらしがない、ちゃんとしているという意味だと無意識の中に、理解していた。
褒められて、認められて、ちゃんとしていたい、これらが痩せに走らせた。

今の所、理由がもう1つ。
他人からの物で自分がいっぱいで、他人の物をもう入れられなくなってたから。
食べ物、進路、習い事、行動、時間、場所、服、おもちゃ。
食べられなくなる19まで、全部親が決めてくれていた。親に決めてもらっていた。親に決められていた。
いつかまでは、自分の感覚が分かっていたのかもしれない。
「これが良い」というこだわりも伝えられていたのかもしれない。
だけど、他人の許すものに、すり替えられて、与えられる。
その数が、多すぎて、段々、自分の意志を持ち、伝えることを諦めていったのかもしれない。

他人からもらった物が嫌なら断れば?という話だ。
だけど、断れない、言えない、同情するしかない。
感じた言葉、表情、声色、空気が入ってきやすい。
更に、断ると、批判・怒り・訴えが返ってくることは知っている。
それまでの経験から返ってくるであろう物も私は気にすると予想する。
だから初めから反抗はしない。
それに私は言葉巧みではない。断りや説明も苦手だ。
どうせ、言い負かされる。説得される。
だから他人を受け入れる。
言葉にできなくて、でも、どうしても我慢ならないと、自然と涙が出てしまう。
向こうは「いつもお前は、そうやって泣く。だからダメなんだ。」とか「泣くのやめてよ、私が悪いみたいじゃん。」と言う。
どうせ黙りながら受け入れても、泣いたら批判を喰らうのにね。
泣くのは我慢ならないんだ。

生まれて、暫くは、泣いてで済んでたはずが、一人で落ち込むで済んでたはずが、
ある時から食べられなくなってしまった。ガリガリに痩せていってしまった。
頭の中で済ませていた”がっかり”、目から出た”涙”、それが”ガリガリ”に取って変わってしまった。
19年間、中に、他人の物を溜めすぎたのかな?

周りの人から沢山の物をもらった。形のあるもの、形のないもの。
勿論、与えてくれただけでもありがたい。
ある時は、感謝できなかった。
感謝しなければいけない。でも、余裕がない時、感謝はできない。私には、まだ、そういう足りないところがあるんだ。
ある時は、受け入れられなかった。拒否した瞬間、その理由は、言葉にできない。
反射的な反応しかできなくて、腑に落ちることを言えなくて、申し訳ない。
後から、言葉にできたりする。
「実は、これが嫌だったんだ。」と後から言うと、
「知らなかったよ。嫌なんだったら、言ってくれればよかったのに。」と返ってくる。
本当にそうだ。私が、相当なこだわり屋なのに、自分のエゴを伝えられなかったのに非がある。

一昨日、何も見てないのに、”甘いマフィンが食べたい”と思った。
昨日、目に飛び込んできた冷たいココアが”飲みたい”と思った。
嬉しい。食べたいものがわかったね。
だけど、やりたいこと、やりたい仕事、目標、生きがい、夢、価値はわからない。

自分のしたいこと、やりたいことがわからない。摂食障害は、そういう所と繋がっているんだ。少しずつ、見えてくると信じている。

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