未就学児の時に、”自分は変だ”と既に思い始めていたことについて。

私は変。私は可笑しい。
そのように思ってしまうことは、悲しいことである。

しかし小学校に上がっていなかった頃に、既に、「私は変だ。」と思っていた。


「千と千尋の神隠し」を父と映画館に観に行った時のこと。
この映画には、両親が豚になってしまうシーンがある。私は、これを見た時、とてもショックを受けた。私の両親も豚になってしまうのではないかと戦慄が走ったのである。

「怖い!私のお父さんとお母さんも、豚になっちゃったらどうしよう。」

私の母は食べることが好きだし、豚になる可能性がないとは言い切れないと予想できたのであろう。

しかし、私は、「怖いから劇場を出たい。」と父に言えなかった。劇場の静かな雰囲気から途中で退席できるもんじゃないと悟ったのか。
「怖い」なんて言うのは恥ずかしいことだとでも思ったのか。
その後、湯バーバが出てきたシーン辺りで漸く、「怖くなっちゃったから出たい。」と父親に言うことができた。

劇場を出ると、父親に「何が怖かったの?」と聞かれた。
私は、嘘を付いて「湯バーバが怖かった。」と言った。自分が怖いものを素直に言えなかった。

「お父さんとお母さんが豚になるのでは?」という考えが、“変“だと、“可笑しい“と思われるのが嫌だったからだと思う。

しかし、こんなに小さい時から、自分を変だと思っていたなんて、私の闇は、相当、深そうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?