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文章が上手くなりたいと思った

自分の気持ちを言語化することがとても苦手だ。物事にふれて、確かに何か感じているのに、いざ言葉にすると「可愛かった」「面白かった」「すごかった」みたいな、幼稚園生ワードしか生み出せない。コンプレックスに感じているし、思考が下手で浅い人間だとバレてしまうのが恥ずかしい。

私は軽度のASDかつADHDで、気持ちの言語化どころか、コミュニケーションがとてもとても苦手。毎年同級生とは上手くいかなかった。今はある程度の擬態と客観視を覚えたので、大好きな友だちは、少ないけれど傍にいてくれる。大人になってよかったと思うことのひとつ。

コミュニケーション下手と口下手のコラボ。地獄。

書くことは好きだった。ハンゲームのサークルやふみコミュの掲示板に小説を投稿していて、応援コメントはかなり多かった。小学校でたまにある小説を書く授業ではプチヒーローだったし、大学の小論講義で書いたエッセイを回し読みした時は「あ、私ってこういうの上手いんだ」と確信した。

グループワークは鬼門。周りの人間の思考の深さ、与えられたテーマから伸びる枝の多さ、すらすらと考えながら言葉にする頭の回転の速さに毎度絶望した。私は事前に用意したテキストを読むだけでも頭が真っ白になるのに。得意技はとんちんかんな意見をクラス全体に発表し、周りをザワザワさせることだった。

哲学的な友だちと話すと、相手の話が噛み砕けないので相槌に徹する。複数人で話していると、何の会話をしているのか分からなくなることがある。もちろん仕事の会議は終わった瞬間、あらゆる恥で発狂してる。

せめて文字の中では、私を生かしたい。ここならストレスを感じず、マイペースに物事を噛み砕き、思考できる。何も浮かばないならそれでいい。健常な人間に擬態しなくていい。無理やり明るく演じなくていい。

そして、気持ちの言語化が上手くなりたい。きっと言葉を編むスキルは私を癒してくれるし、救ってくれる。

目的がもうひとつ。時々、人間とコミュニケーションをとっていると、自分は何なのか分からなくなって、悲しくなって、星に帰りたくなる。そんな時はここを覗けば、ちょっとだけ生きていく勇気が沸く。そういう場所になったらいいと思う。

noteを始めてみた理由。



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