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「本心」(平野啓一郎 著)を読んで考える「未来社会の幸福」とは

「― 母を作ってほしいんです。」最愛の母を亡くした主人公、29歳の朔也(さくや)が、AIの母を注文する場面からストーリーは始まる。「自由死」が合法化されている2040年の日本で、生前「もう十分」と自由死を望んだ母の本心を探ろうと、朔也の心の旅ははじまる。そもそも我々は人の一面(分人[2])しか見ていないのでは、本心とは1つなのか、といった心のテーマと、経済格差が今以上に拡大し二極化した社会、AIやVR、デジタル技術が浸透した生活が生み出す課題と重なり、ざわつく気持ちが先を読ませる。近未来の舞台設定でのストーリー展開の面白さと平野さんの美しい文章に引き込まれて、感動すると同時に、多くのことを考えさせられるすばらしい作品でした。日頃、先端テクノロジーやスタートアップを考えている視点で、感想文を書いてみた。

「自由死」が日本の死因1位になる日

今でも安楽死が認められている国もあるが、本人の同意があれば、自由に死を選択できるようになるという設定は、重いテーマだが、社会として考えて行くべき話だと共感した。実際、日本の死因は「老衰」がすでに3位になって急上昇中である。厚生労働省の発表によれば、現在死因の1位は悪性新生物(がん)で、2位が心疾患、3位の老衰は、5年前には5位だったが、脳血管疾患、肺炎を抜いて急速に増えている。がんの治療法や薬の開発が進めば、20年後には老衰がトップになっているかもしれない([3])。

そんな時代に、自由死は選択されるのだろうか。寿命がわずかと限られていると分かったとき、人は死を予定して会いたい人に見守られて逝きたいと思う気もする。そうなれば、死は自分が決めるもの、選択できる権利がある、というルールは社会に受け入れられるのか。医療の技術が進化すれば、死亡のタイミングをより正確に予測できるだろう。1ヶ月程度の区切られた期間での医師の判断のもとの自由死ということなら、受け入れられやすいだろう。

本書の突きつけるテーマは、まだ元気な70歳の母が自由死を望むという話なので、さらに深刻だ。人はいずれ死ぬということからすれば、もう十分生きたという価値観は、人それぞれとは言え、息子の朔也としては反対する。母の本心は分からないまま、事故で亡くなってしまった。将来、介護負担やお金がかかることを心配して、息子に迷惑を掛けたくないということなのか。仮にそうだとしても、そうした自由死は、それを防げなかった後悔の念が、家族の心に傷を残す気もする。

テクノロジーで長く健康で生きられるようにしたいものだ。私は、今後の投資や技術の1つのトレンドとして、そうした長寿テックに向いて行くと思う。この分野のスタートアップにも注目したい。

AIと人間の関係

朔也が300万円で購入する母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)。2040年には、十分ありそうな話だ。生前のライフログ、SNSデータ、写真やビデオ、メールや文章を学習データにすれば、今でもある程度は可能である。20年後には、VRでリアルな表情を再生できて、卒なく会話をこなすといったことは、とても現実味がある。300万円というのも、なかなか良い価格設定という気もした。生活に潤いを与えてくれる話相手というツールとしてのAI(VF)である。物理的なロボットとなって、掃除や料理もしてくれるとうれしいが、そうしたハードウェアがあれば、AIが指示を出せば良い。

AIに「こころ」がない、統計分析的に最適と計算された受け答えをするにすぎない、という前提で付き合うとしても、安らぎを感じるシーンを想像できる。要は、人間側がどう受け取るか次第である。亡くなった人をAI化する話も、やや物議を醸し出すテーマだ。個人情報や肖像権など、人の権利は、死亡後にどこまで守られるべきなのか。相続される対象になるのか。倫理的な議論になりそうだ。朔也は、最終的に記憶の中で生きる母と向き合うことで、AI母から卒業する。

AI母が、他人の話相手となって、稼ぐシーンも面白かった。十分ありそうな話だ。脳の仕組みが将来解明されて、意識がデジタル化できる時代が来るとすれば、我々は、人間がソフトウェア化することを受け入れられるのか、ハードウェア(身体)とソフトウェア(意識)が切り離されて、ソフトウェアだけが存続するということがありえるのか、という問題に直面する。今から心配する話でもないが、SFでは度々出てくる設定である。そうなれば、ソフトウェア母は、本心を持ったリアルな存在となる。

二極化が進む社会をどう変革するか

AI・ロボットがあらゆる産業に導入され、定形業務や過去のデータから判断できる意思決定、異常の検知やリスクの判定など、さまざまな業務をこなすようになれば、人間はもっとクリエイティブな仕事に専念できる。良い話のように思える。企業経営からすれば、人を雇うより、AI・ロボットに投資することで利益が出れば、AI化はどんどん進むことになる。結果として、高収入の職業と、AI・ロボットの方が割高になるような低賃金の業務に二極化して行く。AI社会のジレンマである。

私も以前、未来のエリート職業を考えてみた[4]。クリエイティブな専門職は魅力的だ。本書に登場するイフィーのアバターデザインは、まさにそうした職業だ。一方、朔也のリアルアバターは、AI・ロボット社会でも残るつらい仕事の例として、対比されていた。実際ありそうで、とても臨場感を感じた。そして、リアル社会の生き苦しさをデジタル世界で息をすることでバランスを取る。デジタル世界の分人が大きくなる感じだろうか。

朔也の正義感は、未来においても共感を呼ぶ行動だ。貧困ゾーンから富裕ゾーンへ抜け出すチャンスを手にしたとき、人はそれが幸せか悩む。何でも買える裕福なイフィーは、金で買えない愛や友情を渇望していた。モノ的に豊かになった社会での幸福とは、何だろうか。経済格差と自由死が結びつくと、社会を暗い方向に誘うことにもなりかねない。ベーシックインカム的な富の配分は、避けられないようにも思える。経済的な理由で、自由死の選択を迫られるような社会にしてはならない。高齢化と人口減少が加速する日本、どんな社会をめざすのか、今から準備が必要だ。物語は、朔也が自らのやり甲斐、ミッションを見つけ、新たな挑戦に進むところで終わる。起業家が、どうしてもやりたい目標を見つけたシーンと重なって見えた。

[1] 平野啓一郎「本心」文藝春秋, 2021
[2] 平野啓一郎「私とは何か――「個人」から「分人」へ」講談社現代新書, 2019
[3] 鎌田富久「テクノロジー生物学的限界を超える人類」xTECH未来創造マインド, 2021
[4] 鎌田富久「未来の職業を10個考えてみた」Noteブログ, 2019


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