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パンデミックと郊外住宅地

COVID-19の蔓延とその長期化は、人々がどこに住み、どこで働き、どこで集い、どこでそれぞれの人生を謳歌するのかという、人々の活動と場所との関係を大きく変化させていく可能性があります。このことは、人文地理学、経済地理学にとって重要な主題になっていくはずですが、筆者のような建築・まちの専門家にとっても看過できない問いです。
この観点から、これから考察を進めていきたいと思いますが、まず、大都市の郊外住宅地のことを考えたいと思います。

近年、東京の大都市では若年層を中心に、都心地区への人口集中がおきていました。タワーマンションと呼ばれる超高層集合住宅は跳ぶように売れ、そのことがさらなる建設を促すということが続いてきました。こうした市場選好を背景に、2020年東京オリンピックの選手村も、会期後は、超高層集合住宅として分譲することというスキームのなかで整備されています。
一方、分譲される集合住宅の平均専有面積は70m2程度だといわれています。東京都23区の分譲価格は㎡あたり100万円を超えているということですから、100㎡を超えればいわゆる億ションということになりますので、平均住戸規模が70〜80㎡であることもうなずけます。

さて、新コロナウィルスの蔓延による行動自粛で在宅勤務が進行しました。まだ系統的な調査は行われていませんが、小さいお子さんをかかえた集合住宅の住戸では、働く場所を設定するのにご苦労された方も少なからずおられたのではないかと想像されます。また、ともに在宅勤務になったパートナー同士など、同居人が、同時に別々のビデオ会議に出席することになり、音や映像が混じらないようにご苦労された方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、長い在宅時間のなかで、お住まいで身体を動かすエクササイズをしたり、さまざまな趣味の活動を展開しようとされた方も少なくないでありましょう。
いま直面している新コロナ禍が去ったとしても在宅勤務は定着していくでありましょう。その変化は不可逆であるように思えます。住宅の外にあった様々な施設が担っていた機能が住宅のなかに流れ込んでくるという傾向は、新コロナ禍による一過性のものではなく、今後継続していくように思われます。
家族構成にもよりますが、ご夫婦とお子さんが複数いらっしゃる家庭にとってみると、住戸規模が70〜80㎡であるというのは、平日の昼間は働きに出ていて、ときどき外食もするし、エクササイズや趣味の活動も家の外で、という生活スタイルを暗黙の前提とするものでした。
ならば、より、ゆったりした居住空間を求めて、人々は大都会を離れていくであろう、あるいは離れていくべきであるという議論が、COVID-19によるStay Home以降、あちこちでおきています。また、那須や、千葉県の勝浦など首都圏外縁の別荘地に住居を移す人がいる、という報道もなされています。こうした、都心から離れていく動きが、どれだけの規模の流れになっていくかはわかりません。また、東京などの大都市から地方都市への人口移動という地域を越えた動きになっていくのか、あるいは、都心から郊外へという大都市圏内部でも移動になっていくのかもわかりません。

ただ、建築・住宅というハードウエアはすぐに新規に準備できるものではありません。企画計画を含めれば、どんなにはやくても2〜3年、通常は数年かかることにいなります。一方、COVID-19の蔓延がひきおこしている社会的変化は急速で、極論すれば週単位、少なくとも月単位のスピードで起きている変化です。となると、いまある住宅・建築ストックを活用し、急激な社会的変化に対応するというやり方が現実的であるように思われます。

このように考えると、大都市の郊外住宅地に眠っている住宅ストックが、大きな意味をもっているように思われます。

私は、数人の研究者や革新的実務家の皆様とご一緒に、「住宅の世代間循環システム」という本の出版にかかわりました。
その本では、大都市の郊外住宅地の持続可能性に深刻な懸念が生まれていることが取り上げられています。
20世紀後半の持ち家政策の後押しで、大都市の周囲の田園では大規模宅地開発が行われ、戸建住宅が立ち並ぶ郊外住宅地が開発されてきました。しかし、東京でいえばターミナル駅から小一時間かかる位置に所在する郊外住宅地での空洞化現象が顕在化しています。20世紀に夢のマイホームを建てた方々も高齢になり、ご夫婦ともに物故され、お子さんたちも巣立たれていて住まい手がいなくなった空き家となる、ということも珍しくはならなくなりました。郊外住宅地に現れつつあるこうした空き家のうち、買い手がつかない例も目立ち始めている、というのです。次の世代が移り住んでこないとすれば、その郊外住宅地は衰退の悪循環にはいり、将来、かつての郊外住宅地が衰退し消滅してしまうことすら懸念されます(詳しくは、ご紹介した本のなかで園田眞理子先生がお書きになった「既成の郊外住宅地の持続と世代間移転の可能性」をご覧下さい)。

都心部の集合住宅は、在宅勤務をはじめとして様々な機能が住宅に流れ込んでいることに対して手狭であるといわざるを得ません。一方、空洞化の兆しがみえはじめている郊外住宅地には、ゆったりとした規模の戸建住宅ストックがあります。
適切な社会システムをデザインし導入することができれば、いま進行しつつあるなかで手狭感を感じはじめている人々の受け皿に郊外住宅地がなっていく可能性は大いにあるように思われます。毎日、通勤するにはちょっと遠いかもしれませんが、週2〜3日通勤する人にとってみれば十分に便利だという立地であるともいえます。Social distanceをとりやすいとりやすく、公園も沢山合ってゆったりしていて、病院、商業施設などひととおりの生活利便施設が整っているのであれば、特に小さなお子さんをかかえる若年世帯の方々にとってみれば、魅力的な居住環境となるのではないでしょうか。

ここで、適切な社会システムをデザインし導入すると申し上げたのは、一つには、都心の集合住宅から郊外住宅地への人口移動を住宅の売買だけを前提にすると、そこがボトルネックになる可能性があるからです。というのは、都心に購入した集合住宅を売却して郊外に住むとなると、現状の市場システムのなかでは、金銭上は相当なリスクを背負う可能性があります。売ろうとする集合住宅の経年減価による評価損や住宅ローンの残債の処理、購入しようとする郊外住宅の戸建住宅の将来の資産価値の低下なども懸念されます。これらの歪みは、中古住宅市場がもっと成熟すれば正されていくでしょうが、前述のような変化のスピードを考えると、市場の成熟を待っているわけにはいきません。仮に、例えば、都心の集合住宅を貸し出しその賃料で郊外の戸建て住宅を借りることなど、売買(所有権の移転なしに)ではなく、居住権、住宅の使用権を有期に交換する社会システムができれば、懸念されるリスクも小さくできるのではないでしょうか。こうしたシステムは、将来の居住形態の選択肢も確保できる(例 子育てが終わったら、再び、都心の集合住宅に住む)ことも、都市の集合住宅から郊外住宅地に移住しようとしている人にとっての魅力になるはずです。
適切な社会システムをデザインし導入すると申し上げた、もう一つの理由は、高齢化と空洞化が進んでしまった郊外住宅地では保育園など、子育て期の方々にとって必要なサービスが希薄になってしまっていることです。この問題に対処するには、使われなくなった施設や、広めの空き家住宅の保育園への活用など、地域の未利用の建築ストックを活用することを念頭に、サービス事業者の誘致などの政策が地域で展開されていかねばなりません。

このように、課題があることは事実ですが、私は叡智を結集すれば、解きうる課題だと思っています。19世紀にハワードが田園都市を構想した背景には、当時のロンドンをはじめとした大都市においてコレラなど感染症の度重なったことがあったといわれています。その歴史的経緯と完全に軌を一にするとは申し上げませんが、21世紀におきたパンデミックが、21世紀の田園構想を具体化していくきっかけになる可能性は大いにあると思われます。

2020年7月12日第一稿を作成


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