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小学生の宿題の思い出

私が小学校のころ、 宿題は学校にいる間にチャチャっと終わらせてい た。要領がよかったのだろう。 たまに家でやる時もテレビ見ながらやっていて、よく親に怒られたものだ。 集中していないとか言われた。 私にとっては宿題なんか集中しなくてもできる、作業みたいなものだと思っていたので、適当にスルーしていた。

そんな話を子供たちにすると、 今は違うんだよとまた怒られる。 我が子供達は真面目だ。よいことなのだろうが。

今も昔も夏休みの宿題という奴は頭を悩ませる。特に自由研究は嫌だった。夏休み明けに自由研究を提出すると、「家族と海に行ったときの生き物観察」とか「お父さんと一緒に工作」とか、家族愛に満ち溢れている作品と、自分の適当な作品と比べて自己嫌悪に陥るからだ。 私の小学校の夏休みの過ごし方は、近所の友達と遊んで終わり。お盆に友達が帰省していなくなると、一人で公園で過ごすだけ。 夏休みに家族で出かけた思い出などほとんどなく、自由研究を手伝ってもらったことも無い。何の意味も無い統計を取ってみたり、絵を書いて提出していた。研究の動機など無い。

そんな思いをさせたくないから、子供達とは夏休み思いっきり遊ぶこと にしている。毎年テーマがあって、 離島で過ごす夏、シュノーケリングにはまる夏、 登山の夏など。 海で過ごすことが多く、そこで生き物を観察して自由研究にして提出していた。 はっきり言って、子供よりも私が楽しんでいた。

小学校高学年になると、自分で研究の動機や予測を立ててレポートをするような自由研究がやりたいと言う。ネットやYouTubeを見ると自由 研究関連の情報がいくつもヒットする。が、子供たちは自分で考えたいと言ってきかない。自分で考えて見つけるというのが最も難しいのだが。しばらくすると娘から「何やればいいかな?」と聞いてくる。ここで迂闊に何か言ってはいけない。自分で考えて見つけるということを 尊重しなくては。娘の心にある何かを引き出し、形にすることを手伝ってあげるのが父親たる私の役目。そのためには否定しない。

否定しない。 私が初めて課長になっ た時も似たようなことがあった。 マネージメント研修であれこれ講師から言われたが、眠くてあまり覚えていない。そんな中でも 「傾聴する」 「否定しない」だけは心に引っかかっていて、実践しようと思ったのだ。

私は情報システム部署で仕事している。 現場からはITによる利便性を求められ、上からはコストとリスクを追及される部署。課長や部長になると保守的になりがちだ。部下から「新システムの導入しましょう」と言われる。結構金かかりそう、現場の運用変えなくちゃならないけど合意とれるのか、費用対効果はでるのか、とかとか、心配事が頭をよぎり、自分の不安を部下に質問して解消しそうになる。が、ぐっとこらえて飲み込む。「いいね、やる方向で検討してみようか」。この一言で部下も部署も前向きになる。私だけ内心オロオロしているのだが。

話は戻って我が子(娘)の自由研究。ある日の寝るときに今日あったことの雑談をしていると「あのね、いろんな液体を凍らせてみるのはどうかな・・・」とポツリと一言。きたきた!すかさず「いいね、面白そう。いろんな液体って、どんな液体にする?」などと会話して、 自由研究の形作りに入ることができた。 水、塩水、砂糖水、ジュースなど色んな液体を用意して、冷凍庫に入れる。一定時間ごとに温度計で計測するという小学生にありがちの奴だ。研究の動機は「ジュースを凍らせておいしいシャーベットを作るのにどのくらい時間がかかるのか知りたいから」。かわいらしい中にもテーマがしっかり している。

ここからが大変。1時間ごとに温度と状態を記録するのだが、温度計を落として割ったり、時間を忘れたりで、「どうしよう、もうできない 」と泣きわめく。優しく一 緒に伴走してあげる私。もちろん寝ている時間に温度と状態を記録するのは私の役目。あの夏の寝不足の経験は、仕事でのコーチングにつながっているのだろう、と勝手に信じている。そうしないとやってられない。

子供たちの前ではポジティブに振る舞ったが、 自由研究は正直否定的だ。他の宿題・課題にとやかく言うつもりはない。一つだけ良くないと思う宿題があった。週末の出来事を日記で書くという宿題。最初はそれほど気にしていなく 「お父さんと縄跳びの練習した」とか「お父さんとバドミントンした」 なんか を書いていたようだが、 毎週 「今度のお休み何して遊ぶ?」と聞かれるようになる。 宿題で書いた日記は教室の後ろに張り出されて、他の子の内容がわかるようになっているらしい。「家族でテーマーパークに行った」、「おばあちゃんの家に行って遊んだ」「お母さんとケーキ作った」などが書いてあって羨ましかったようだ。実際に授業参観に行ったときに私も確認することができた。こういった家庭環境で差がつくような 宿題を出して、 周りにも知ることができるようにするというのは如何なものか。文句も言いたくなるが、 否定的になってはいけない。

「よーし、今週末は一緒にアップルパイを作ろう!」と言って、ケーキ作りに対抗する。もともと料理が得意なので、スイーツ作りは結構楽しかった。またもや自分が楽しんでいる始末。

行きたいというところにもなるべく連れて行った。スケート場で滑りたいと言われれば、やったことも無いのにつれて行って、私が転んで手首を負傷。

毎週毎週こんな日々を過ごしていたが、いったいこの宿題はいつまで続 くのか。さすがに体調が悪いときは家でゆっくりさせてほしい。そんな弱音と言い訳を言うと、「今度のお休みもスケート行くんだよ。もう書いちゃったから」と子供から言われた。金曜日に土日で行きたいこと、やりたいことを先に日記に書いているらしい。なるほど、賢い娘だ…

宿題が無くなる日まで、その未来日記を実現させてあげていた。娘との良い思い出が出来たと今では前向きに捉えている。


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