文学フリマ東京37に出店したひとの、緊張と幸福と反省と思い出
2023年11月11日(土)、文学フリマ東京37に出店した話を書きます~。
出店前に書いたのはこちらです。別に続きものというわけではないのですけど。
文学フリマに出店するのは今回が初めてだった。何冊売れるのか、どれくらい立ち止まってもらえるのか、まったくわからなくてとにかく売り切れてしまうのを危惧して、大量の在庫を抱えていった。たった一冊の新刊を40部と、フリー折本を100部と、商業出版したときの二冊もまあ一応携えて。キャリーケースが前代未聞に重くて、エスカレーターに乗るのも一苦労で、本って、こんなに、重いんだ、と改めて感じながら、電車と夜行バスを乗り継ぎ東京へ向かった。
秋葉原駅に着く夜行バスの、到着予定は朝の6時45分だったのに、5時40分ごろには着いてしまった。前回東京に来たのは8月だったので、11月朝のあまりの暗さ、風の冷たさに首をすくめながら、その重さのおかげで一発で自分のものとわかるキャリーケースを受け取り、歩き出した。
24時間営業のココスが近くにあるようだったので、朝ごはんがてら向かおうと思っていたのに軽く道に迷い、寒さに凍えて心が折れそうだったところをカラオケまねきねこを見つけた。早朝のカラオケは怯えていたような酔客などもいなくて、静かだった。
6時から2時間。キャリーケースに入れていた本をせっせとリュックに移してから、カラオケで大森靖子を流しながらコンパクトミラーを立て、メイクをした。以前のnoteでも書いたようにわたしのメイク歴は2ヶ月ほどなので、してもしなくてもそんな変わらないじゃないかというくらいぜんぜん下手くそなのだが、「きゅるきゅる」を聴きながらビューラーをしたらきれいに睫毛があがって、ちょっとこれは、最高の一日になってしまうんでは?と甘い予感が鳴った。
ドリンクバーでコーンスープを2杯飲んだ。塩っけがつよめで、それが7時間夜行バスに揺られて萎縮した身体によく沁みた。
1時間で準備が終わったので、残りの1時間、歌った。もともと1人カラオケ大好きなので、文フリが終わったら自分へのご褒美としてカラオケに行くつもりではいたんだけれど。というかもうフリータイムで予約までとってあるんだけれど。前借りのご褒美だと思いながら、カネコアヤノを10曲くらい歌った。大森靖子も歌いたいが、歌うには高すぎてしんどいのである。
秋葉原のホテルにキャリーケースを預けてから、浜松町駅で店番のお手伝いをしてもらう約束をしていた終点さんと合流し、デニーズで朝ごはんを食べて流通センターへ向かった。鮭定食おいしかったー。どちらかといえば和食派。
出店者の入場は10時半から。最後尾に並んでからほどなくして列が動き始め、10時半ぴったりごろに中に入った。N-42。純文学カテゴリだけれど、すぐ隣が児童文学の方だった。ちょうどカテゴリの境目だったらしい。
セリアで買った青い薔薇?っぽい柄のテーブルクロスを敷き、本を並べ、フリーペーパーを並べ、ポスターを立て、立ち読み用の本を立て、ポップを立て、お供のうさぬいも並べ、見本誌を提出し、ふう、と一息ついてもまだ、一般開場まで時間があったので、会場をゆらゆら歩き回った。まだみんな準備中らしく、大きなラックにきれいで色とりどりの本を並べていたり、大きなポスターを吊り下げていたり、目を惹くテーブルクロスを敷いていたり、あーあ、こんなに凝ったブースがちょっと歩くだけでいくらでもあって、準備万端だと思っていた自分のブースがひどく物足りない気がしてきて不安な気持ちにまとわりつかれながら、戻ってくる。かわいいうさを撫でながら12時を待っていると、アーリーオープンで10分ほどはやく開場した。すごい、ディズニーランドみたいだ。ここは文学の夢の国。
目の前を行き過ぎるひとびとに、こんにちはーと声をかける。高校の文芸部時代といまの大学のサークルでの経験上、しつこすぎる呼びかけはかえって煙たがれる気がしたので控えめに。目が合ったひと、ポスターに目を止めてくれたひとに声をかけ、フリーペーパーだけでも、と渡す。興味を持ってくれているらしいひとにだけ声をかけたので、おおかた受け取っていただけた。え、いいんですか? という反応をしてくださる方もおり、えーこちらこそ、受け取ってくださるだけでいいんですか? って感じですけれども! と思った。
自分が断れないタイプの人間なので、断れない人にむりやり押しつけるようなことはしたくなかったんだ…、フリー折本だからって手間はぜんぜんフリーじゃなく、一枚一枚ずれないように大事に丁寧に折り折りちょきちょきしたやつだし、本当に読んでくれそうなひとにだけ渡したかったんだ…。
目の前の通路を横切るひとびとのうち、わたしのブースの前でちらっとでも足をとめてくれるひとが0.5割、そのひとに絞ってフリーペーパーを差し出せば9割のひとが受け取ってくれるけれど、そこから新刊の試し読みをしてくださるひとはさらに0.5割、試し読みをしたひとのうち買ってくれるひとは1割、という感じでした。体感。
フリーペーパーの差し出しと同様、試し読みをしている最中にあれこれ説明を加えてしまうと、なんかこんなに話しかけられたんだから買わなきゃ、というプレッシャーになってしまうんじゃないかしら(わたしはちょっとなる。から、あんまり作者さんの目の前で試し読みとかできない、あわあわしてしまってうまく文字が入ってこない…。そういう人のために見本誌コーナーがあるのですね)と思ってあんまり話さないようにしていたのだが、話したほうがよかったかな。もっと興味持ってもらえたのかなあ。
目の前で品定めされる気持ちで、ずっと座っているだけなのに心がへとへとに疲れた…。これを何度も経験しているひとたち、すごすぎる…。
試し読みされているあいだはぜんぜん気にしてませんよふうで、ほかの通りがかったひとへ、こんにちはーなどと声かけしていたが、胸の内は気が気じゃなく、うさぎの背中をほよほよ撫でてなんとか心を落ち着けていた。手汗で湿った手のひらのせいで、うさぎの毛並みがじゃっかんごわっとしてしまったような気がする。ごめんね。
小説ってなかなか、読者に届くところを作者自身がリアルタイムで目にする機会が少ないジャンルだと思うのだけど、こうして自分の書いたものが目の前で手に取られ、読まれ、お金を払う価値のあるものか、本棚のスペースを消費してでも持ち帰る価値のあるものか、ジャッジされる時間があることが貴重でもあり、このうえない緊張でもあり、ハンガーをはめたままの服を着ているような姿勢で座っていた。
とはいえ立ち読みってどうやらとても大事っぽいです。立ち読みをきっかけに買ってくださった方がいちばん多かった。半分。
一度フィーバーのタイミングがあり、おにぎり休憩しながらぬるっと声をかけていたら5分くらいのうちに一気に3冊ほど売れておにぎり食べてる場合じゃないよ~になったりしました。(目合うかな? あのひと興味持ってくれてるっぽいかな?)とがっつり観察して声かけるより、出店者がほかごとしてるときのほうがふらっと近寄りやすかったりするのかも、と思って、後半はフリー折本も少なくなってきたことだし基本はうさぎを撫で撫でして、気が向いたときだけ声かけてます、ふうを装ってみたのですがそんなに変わりませんでしたね。
15時半ごろには100部の折本を配り終わってしまい、そうなるとなかなかブースに近寄ってもらう口実もなくなってしまい、もうちょっとフリーで配れるものの数を多くすればよかったなーと思いました。200くらいあれば安心?
出口に近い場所だったためか終了時刻が近づくにつれ、もう帰路につくつもりらしいひとが早足で通り過ぎていかれることも多かった。16時45分ごろには片付けし始め、17時ぴったりごろに撤収しました。
noteみて来てくださった方、フリー折本を読んで、戻ってきちゃいました! と言ってくださった方、立ち読みで気に入ってくださった方もおり、そのほとんどがもとからの知り合いとかではぜんぜんなく、ぜんぶで10部! 売れました! 無名の初出店で10部はがんばったほうじゃないかと言ってもらったので、そう思うことにします。
すでにツイッターで折本の感想くださったり、本の末尾に載せた匿名感想サイトwave boxに丁寧な感想くださった方もおり、それだけでもう、なんだかんだ出店してよかったな〜という気持ちになりました。
反省点としては、フリー折本にブースの場所(N-42)を書き忘れたこと、小説の内容が簡潔にわかるPOPなり紹介文なりをつければよかったこと。プロローグだけでどういう話かわかるようにしたつもりではいたけれど、読まなくてもブースをぱっと見でわかったほうが立ち読みに手を伸ばしやすかっただろうなと思いました。
東京だとブースの数が多すぎて目当てのところ行くだけで精いっぱいで偶然の出会いをしにくいという意見も見かけ、わたし自身もそんな気がしているので、次は別の地方の文フリに出店してみようかなと思っています。
たぶん2024年9月8日の大阪文フリかなあ。文学フリマ名古屋は! なぜないの!
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