他人の同人小説を読むー『文と生活』
前回の記事に続き11月23日の文学フリマにて購入した本について書こうと思い、何度も書き直している。何度書き直してもあまりにも強い言葉になってしまい、それ以上にこの本について語る価値を見出せなくなってしまった。
そこで要点をまとめて、書き捨ててしまうことにする。
・編集されているのか
内容以前の問題である。算用数字と漢数字の統一ができていない。文頭の字下げができていない。
まるで一夜漬けで提出される学生のレポートのような出来である。それはつまり、単位の提出期限に間に合わせるために書き捨てられた文章であり、誰かに読んでもらおうという気持ちを一切感じなかった。
少なくともサークル内で読み回しをしていれば、これら単純なミスは避けられたのではないだろうか。「noteで活動しているから字下げはしていない」という言い訳をするのであれば、横文字レイアウトのままにすればよい。もしくは全文字下げをしないのでもよい。
小説というジャンルは書き方が自由であり、ある種の文体を好みに合わないからと責め立てることはナンセンスであるが、この本は文体以前の問題である。
作品自体にも読んでいて違和感を覚える箇所が多々あるが、それを指摘する気も起らない程度にはひどかった。
・1500円の価値
同人誌を作るのにいくらかかるか詳しくは知らない。それぞれの人が各々の判断で価格を決めている。多くの人に読んでもらうため利益を度外視にしている人もいれば、赤字にならないように、利益が出るように価格を設定する人もいる。
それは自由だ。
しかし値段を設定した時に、一度立ち止まってほしい。その金額で手に入るものは何か。
1500円あれば中編小説の単行本を買うことができる。文庫本なら数冊買うこともできるだろう。
プロと素人を比べることはないかもしれないが、お金をもらうということは相手の懐を痛めつけるのだ。文字作品であればそれを読む時間まで相手から奪うのである。
・結論
最初にレポートの例えを出した。量産されるレポートに頭を痛める先生も少なくないと思うが、彼らは学生が支払った学費の対価を給与として得ている。
そこにはこの本と読者の図式とは真逆である。つまり、この本に対して私が価格をつけるとしたらマイナスである。添削としてお金をもらいたい気分になった。
・提言
私が彼らの作品を手に取ることは二度とない。
ここまであれこれ言ったけれど、何かを書く人のことは嫌いではない。
そこで、もしも次に何かを書くのであればやってほしいことを最後に書きたい。
作品の朗読会をやってみてほしい。
朗読することで少なくともレイアウトのミスを確認することができるだろう。
声に出すことによって作者自身で様々な違和感に気づくことができるだろう。また、同人たちも口先だけではなく、その作品に目を向けることになる。
小説に正解はない。作法もない。自由である。しかし、誰かに向けて書くことは、自由であることは何をやってもよいというわけではない。
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