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矢田海里さんと潜匠とびぃだまと

『えらく透明な方だったなぁ』

矢田海里さんのトークイベントの帰り道
友人に「矢田さん、どうだった?」と聞かれたとき、頭の中で最初に思い浮かんだのが
「透明」だった。
それは、幽霊とか、染まりやすいとか、そういうものではなく、
何色でもない、何色にもならないような存在な気がした。
我が強いという意味でもない、それだったら何かしらのカラーがある。

わたしが見た矢田海里さんは、物腰が柔らかく、どこか水面に漂っているような印象で、まるでわたしの目がビー玉を通して矢田さんを映しているみたいだった。
その掴みどころのない彼が執筆したノンフィクション『潜匠』に触れると、
彼と彼から感じた透明との関係がみえたような気がした。

『潜匠-遺体引き上げダイバーの見た光景-』は、
単なる”つらいお話”ではなく。
深い愛に触れる、尊い現実の話であったと、わたしは読んで感じたのであった。

わたし事であるが、先日祖母を亡くし、家族で遺体を洗う時があった。
ハンカチで涙を拭く家族の中、わたしだけ歯を剥き出しで笑っていた。
それは可笑しいわけではなく、愛しい祖母に向かって微笑みのような表情を出そうとした時に、
なぜか微笑みどころか、爆笑みたいな顔になってしまったのだ。そう笑っているわたしの心はどこか清々しくどこかで、みんなに泣いてもらえて”よかったね”と、安堵と喜びに満ちていた。
脱線したが、潜匠の主人公吉田が遺体を引き上げる際も、こんな感覚だったのではないかと思った。
それは読み進めるうちに「家族」や「家族のように」というワードや連想がいくつも散りばめられ、吉田の情の深さを感じ取れる印になっていた。

本編の現実が、深く深く悲しいのは、それだけ深く深く愛していた証拠でもあるのではないかと思った。
悲しみの現実を生きなければならない。地獄のように感じる文面と現実に、わたしは「この地獄を生きることがある意味『死』だ」と。
日々、希死念慮に駆られているわたしに力強く「今生きろ」と感じさせた。

それをなんの違和感なく、身体に響かせてくれたのは矢田さんの透明感から浸透されたようなものだと思った。

帰り道、友人に「矢田さん、どうだった?」と聞かれた時、
「すっかりカイラーだよ」と、矢田海里さんのファン表明で答えた。


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