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ブーメランが突き刺さって涙が溢れた午後1時

私のTwitterは、いわゆる「病み垢さん」という人たちが多い。

私自身も「統合失調症」という疾患名をアカウント名に入れているし。
ソレに関したマンガも出しているから
類は友を呼ぶように繋がっていく。

フォローしている人は
「今日も死ねなかった」「今日も生きた自分えらい」「主治医きらい」
様々な生存報告のような、慰めのような、普段生活の中では言えない。
ロウソクの炎のように一息で消えてしまいそうな現状を言葉でつぶやいたりしていたりする。

そういったなか、毒親に関する叫びのような嘆きを投稿する人たちも少なくない。
わたしは、消えてしまいそうな炎たちを人差し指でスクロールしながら眺めるように見る。

そうだ、ね。ただ、眺めてたら。
バチが当たったのかなぁ・・・
私の心の中に昔の思い出がスクロールするごとに荒削りに蘇ってきて、
今でも母の機嫌が気になってる自分に毒親というワードがリンクした。

昨日、夕飯の手伝いをした時、母はフライパンで調理したかったのに、私が違う鍋で料理したから、急に家に居づらさを感じた、あの感じ。

昔ばなしがヒソヒソと私に問いかけてくる。
どうして、幼い頃、わたしをひとりにしたんだろ?
どうして、つらい気持ちを伝えようとすると怒鳴られたりしたんだろ?

私は布団の中で声を出さずに涙を流した。
喉が熱い、熱い、このまま熱で消えてしまいたい。消えたい。
フラッシュバックとは、簡単に希死念慮させてくれる代物だ。

リビングで水の流れる音がした。
きっと母が食器を洗っているのだろう。
熱い喉のまま、私は「お母さん…お母さん…」と呼んだ。母がきた。
私は涙の理由を泣きながら静かに述べた。

「お母さんは、わたしのこと大切にしてくれるのに、どうしても、今でもいい子で居ないと嫌われてしまうんじゃないかと怖い。大切にしてくれてるのに…」

言葉では言えるけど、自分の頭で理解できてないこの言葉。
私は怒ってない、母に謝ってほしいなんて、思ってないつもりだが、
どこかで母からの優しい言葉を期待した。

母は言った。

「ともちゃんが病気になって、お母さんの育て方が悪かったんだと、落ち込んでた時。ともちゃん言ってくれたよ…
…お母さんが謝ると、私は”お母さんの失敗作”になってしまう」って。

そんなこと言ったかな、記憶を辿る。確かに私は暗い真っ青な頃のお母さんに言った。でも、お母さんがあまりにも沈んでいくから消えてしまわないように言った言葉だった気がする。
そして、その時も確かに想っている。「お母さんが大好き」っていう感覚。

自分が言った言葉が返ってきただけなのに温かくて涙が出た。
「そうだよね、わたしが泣いてると本当にお母さんの失敗作になってしまうね」
母に言った時は、その場の気休めで言った言葉かもしれないけど、
今、私にブーメランのように返ってきた言葉は私の胸に刺さり、私は号泣した。

この言葉は母の為に生きる言葉みたいだが
今の私は自分にこの言葉を裏切らないような生き方をする人間になりたいと思った。

母だけじゃない、周りの人全員に「私が関わってるともちゃんは、失敗された生き物ではない」と。証明できる人でありたいと思った。

そう思ったら、背筋が伸びた。

私は、わたしとして、堂々と、生きるぞ。

あー、お腹すいた!

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