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間違えたことをそのままに

人と話していると、後で反省することがある。
余計なアドバイスしたり、正直が仇になったり、相手の言葉を遮ったり。

ふと思い出しては頭の中で、ぐりとぐらが、ぐりぐり勘ぐる。

今日もやっちまった。と、

やっちまったわたしは寺子屋で釈迦が言葉に出来なかったことを知ることが悟りというのを知った。なんかモヤった。自分にモヤった。
わたしはわからないことを、わからないままの状態で居られることが悟りなんじゃないかと、勝手に思ってる。
だって、釈迦とわたしが答え合わせする機会ないし。

答えに辿り付かない状態を耐えられる精神が4次元の解脱なのだ。たぶん。

間違えたこと、傷つけたことで後悔することは正常で、昔の過ちは今考えることで現在の過ちになる。
わたしはこれからも間違えを繰り返すだろう。
ほんとうは相手に訂正したい、言い訳したいことがたくさんあるが、それは過去を都合よく旅している。
間違えたまま、勘違いされたままでも、正しい答えなんてないんだから。
そのままにしておくのも、生きる手段なのかもしれないと思う。

さっさと軽々しく未来に行くより、過去の重しがあっても良いのではないか。

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