見出し画像

責任のバケツリレー

幼い子供にとって親は世界のすべてであって、
しかしながら子は親を選べない。

子供の精神疾患のマンガを読んだ。だいたい親の過度の期待や、そのまた逆の放置の状態。子供の不安を煽る親の言動と、もともとの脳の発達状態の原因で
社会とうまく適合できなくなった子供の話が多く印象的だった。

わたしの家は父が威厳を持つ家庭だった。
それがどの程度であったとかなどは、説明したところで。読んだ人のトラウマを引き出してしまうかもしれないし、「ウチの方が酷かった」とかの比較になりたくないので割愛する。
今は、わたしの発症と血圧の薬の相互作用で父は鎮静している。

親の世代の人に相談すると「昭和はそんなもんだったよ。」なんて返ってくる。
実際、父も祖父に理不尽に厳しくされたという話を親の兄弟からチラホラ聞いたことがある。(ここは敢えて「厳しく”育てられた”」とは書かない)

祖父もまた幼い頃そのような歪んだ環境にいたのだろうか、仏壇の写真ではあんなに穏やかに笑っているのに。

こうやって、原因を掘り下げていけばいく程
心の傷の矛先は先祖代々にバケツリレーの如く渡っていくのかもしれない。

このどうしようもない、終わりのない責任転移に
むかしは憎くて憎くて仕方なかったけど、

解決できないことと、認識して。
穏やかな意味で「仕方なかった」と、思えるのは

今のわたしが安定しているからなわけである。

火車の最中にいる、この世界の住民には
共感しない文章でもあるのだろうと感じる。

そして、わたしもまた、どこかで崩したとき
この文について響くどころか、怒りがこみあがるかもしれない。


サポートよろしくお願いいたします!