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わたしはわが家の「生き物係」。〜かたつむりの赤ちゃんが生まれて〜

かたつむりの赤ちゃんが産まれた。


わが家では、3匹のかたつむりを飼っている。少し涼しくなってきた頃に卵を産んだけれど、環境を上手に作ってあげられなかったのか、黄色い卵がだんだん白っぽく乾燥してしまって、結局ダメにしてしまった、という経緯がある。


だから今日の朝、大人かたつむりの殻に、米粒くらいの小さな小さなミニチュアかたつむりがくっついているのを見つけたとき、私の頭の中はハテナでいっぱいになった。


「虫かごの中に、卵はなかったはず・・・」


ミステリー。
そこから私の推測がはじまった。




かたつむりたちを飼い始めた頃は、虫かごの中に、公園の砂場の土、木の枝、落ち葉など、基本的に拾ってきたものを入れて飼っていた。けれども、かたつむりたちは意外とたくさんウ●コをする。虫かごにウ●コがくっつくし、かたつむりが歩いたところはヌメヌメするし、なかなか掃除がむずかしい。

濡れたティッシュで虫かごを拭いてみたり、たまに土や枝や落ち葉を新しいものに変えたりしていたけれど、すぐにプンっとクサイニオイが漂いはじめ、コバエも姿を現す。

虫かごが汚くなってくると、不思議とかたつむりたちははほとんど殻に閉じこもったまま動かなくなってしまう。キレイになると元気に動き回る。

かたつむりは、もしかしたらキレイ好きなのかもしれない。




そんな感じなので、だんだんお世話がめんどくさくなってきて、加えて息子もほとんど興味を示さなくなってきていたので、

「かたつむり、公園に返しにいく?」

と息子に聞いたら

「いやだーーー!!!」

とごね出した。全然見ていないくせに。お世話もしないくせに。


仕方ないので、腹をくくった。

なんとか掃除のしやすい環境を作れないかと、かたつむりの飼い方をググった。

たくさんググって検討した結果、
●ザルにハイドロボール(人工土)
●虫かごの底に人工芝
●小さなコップを置く(隠れる場所)
という環境を整えた。




水を流しながら、ハイドロボールを手でかき回して洗い、人工芝も洗い、コップも洗い、虫かごもまるごと洗う。これなら清潔な環境を保てそうだ。


「人工的なお家だけど、大丈夫かな?」

おそるおそる様子をうかがっていたけれど、どうやらかたつむりたちは新しいお家が気に入ったようだった。

今までよりも毎日元気に動き回り、
たくさん食べるようになったのだ。


そしてハイドロボールにもぐって、
ハイドロボールの中に卵を産んだ。


ネットで調べると「産んだ卵は他の容器にうつしてください」と書いてあったので、卵を産んだ部分を別の虫かごにうつした。(ハイドロボールの内側に無数の卵が埋まっています)




卵が乾かないように、毎日2〜3回霧吹きをしていたけれど、だんだん白っぽくカピカピになっていって「これはもう産まれてこないな・・・」という感じになってしまったので、さようならした。

卵を別室にうつしてからは、大人かたつむりたちの虫かごの中に残ったハイドロボールは、数日に1回は手でガシガシ洗っていたので、黄色い卵が残っていれば気づくだろうし、気づかなくてもデリケートな卵はきっと潰れてしまうと思う。

人工芝も、小さなコップの中も、掃除のたびに手でゴシゴシ丸洗いしていたので、確実に黄色い卵は残っていなかった。


旦那さんといろいろ考えてみた結果、卵はかたつむりの殻の内側にくっついていたのではないか?という結論になった。


かたつむりの体はヌメヌメしているので、いろんなものがくっつく。卵を産んだときに、体にくっついてしまった卵が、殻にこもったときに殻の内側にくっついてそのままになっていた。そして運良く産まれた・・・という推測以外に、もっともらしい推測が思い浮かばなかった。


5匹、という数なら、殻の内側にくっつくのも可能かもしれない。


かたつむりたちは卵を別室に移動させた私のこと信用していなくて、殻の内側に何個か卵を隠し持っておいたのかもしれないし、そう想像するのが1番しっくりくるので、そういうことにしておくことにした。




とにかく、
かたつむりの赤ちゃんは産まれたのだ。 





朝その姿を見つけたとき、予想外の命の誕生に、はじめは推測することに頭を使った。

その後、頭の中であれやこれやと推測しながら、その赤ちゃんのお家を準備して、野菜の切れ端や卵の殻を準備して、霧吹きでお家を湿らせて、新しいお家を整えているうちに、私はいつのまにか鼻歌を歌っていた。

赤ちゃんが気になって気になって仕方がなくて、ついつい新しい虫かごを見に行って、じーっと観察してしまう。



旦那さんがそんな私の様子をみて
「めっちゃ嬉しそうやんか」と笑った。



そう。私は予想外に嬉しかったのだ。


家事や、息子のお世話や、2匹の猫たちのお世話で毎日精一杯で、息子と旦那さんがかたつむりたちを連れて帰ってきたときは、正直に言うと「めんどくさいな」と思ってしまっていたのに。

赤ちゃんが生まれたということは、またお世話する量が増えるというのに。


でも、米粒くらいのミニチュアかたつむりたちを目の当たりにすると、心の奥底から「私が守らなきゃ」「私が育てなきゃ」というような、おそらく「小さな母性」のようなものが湧き上がってきて、私の身体は勝手に動いた。

新しい命のために身体を動かしていると、お世話をしていると、なんだか温かい気持ちが湧いてきて、「ひろがり」のようなものを感じた。

その「ひろがり」が
私を楽しい気持ちにさせた。


もちろん、わが子が産まれたときに比べたらインパクトは小さいけれど、

新しい命の誕生を目の当たりにすると
自分の子はもちろん
誰かの子であっても
かたつむりの子であっても
心の底から何か明るいものが湧いてきて

同時に「つないでいかなきゃ」という気持ちが反射的に湧いてくるのかもしれない。

そしてそのことを「楽しい」と思うものなのかもしれない。



私が息子を産んでから4年間、泣いたり笑ったり悩んだり喜んだりしながら、ヒイヒイやってきたことを、

かたつむりたちはたった半年間で、
何食わぬ顔で、淡々と、
やってのけているように見えた。


こんなせまい、人工的な場所でも
「つないでいく」「残していく」
ということが淡々と行われていて

卵をダメにしてしまって、小さな罪悪感のようなものを感じていた私に

「自然界、そんなに甘くないから。卵がダメになるなんて当たり前だから。だからたくさん産んでるんだから」と、かたつむりたちにドヤ顔で言われているような気がした。




さて、朝ごはんを食べながら
今後この5匹をどうするかを話した。

ある程度成長したら公園に返そうと私が言うと、息子が「お家で飼いたい」とごねた。


そんな息子に旦那さんはこう言った。


「母ちゃんはね、

かたつむりの世話をして
コメとムギ(猫)の世話をして
○○(息子の名前)の世話をして
父ちゃんの世話をして(笑)
毎日大変だからね。

もうこれ以上は
かたつむり増やせないよね。」



そしてその後、こう付け加えた。


「母ちゃん、生き物係みたいやね。」




「生き物係」という思いもよらない言葉に、
キュンッとした。


小学生の頃だけに使っていた言葉が急にあらわれて、教室のニオイやうさぎ小屋のニオイがどこからともなく漂ってくるような気がした。


生き物係。

悪くないな。


そう感じて、「母ちゃん、うめかわ家の生き物係でーす!」と息子にむかってふざけて言ってみたら、また心がキュンッとした。




生きているものっておもしろい。

生まれて育って死んでいく。

どんどん変化していって
予想外のことがたくさん起きて飽きない。

それぞれいろんな習性があって
食べたり食べられたりしながら
お世話したりお世話されたりしながら

電池もないのに動いて、
循環していく。

不思議で、おもしろい。




おそらく一生かかわらずに生きていけただろうかたつむりと、ほんのちょっとだけ関わらせてもらって、生活を垣間見させてもらって、ますますそう思った。


めんどくさいなと思う日もあるけれど、
生きている物、ひろがっていく物、明るい感じのする物が身近にたくさんあって、その中で私なりの役割を果たしていることが、なんだかとても素敵なことのように思えた。



私はわが家の生き物係です。

今日も楽しみながら、お世話します。


ミニチュアかたつむりたちが、スクスク成長しますように。願いを込めて、文章に残しておきます。

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