31歳か32歳になりました。
今日は私の誕生日。
31歳か32歳になりました。
そんな感じで、私は最近、自分の年が何歳なのかぼんやりしてしまっている。旦那さんに確認してみると、私は今日で32歳になったそうな。
年をとるにつれて、あんなに特別な日だった誕生日は、私の中でどんどん盛り上がらなくなってきている。家族とケーキを食べて、友達からおめでとうメールが届く。そして前からほしかったものが手に入ったりする。そんなちょっぴり楽しい日。
誕生日についてぼんやり考えていると、息子が生まれた日のことを何となく思い出した。
私は自分が息子を生むまで、「赤ちゃん」という生き物とほとんど関わったことがなかった。自分のお腹の中から出てきたその得体の知れない生き物に、人生ではじめて顔におしっこをかけられたときには、もうたまげてしまった。
はじめて自分のおっぱいを飲む赤ちゃんをみたとき、涙腺がゆるんだ。かわいいと思った。その吸いつく力強さにホッとした。
昨日まではお腹の中にいた赤ちゃんが、お腹の外に出て私の隣にいる。そのことがまだまだ信じられなくて、実感がわかなくて、眠りから覚めたらいつもびっくりしていたのを覚えている。
だから、いつでもいなくなってしまいそうだった。小さくてなんだか儚い赤ちゃんは、すぐに消えてしまいそうだったので、寝ている赤ちゃんの胸に耳をあてて、よく心臓の音を聞いた。小さくてかわいいトクトクトクという音をきくたびに、なんだかホッとした。
朝がきて、息子の目が覚めてよかったと思う。夜暗くなったとき、どうか明日の朝も目を覚ましてね、と願う。大げさかもしれないけれど、赤ちゃんに慣れていない私にとってそれくらい赤ちゃんは儚く思えたのだ。
生まれて1週間たったね。
生まれて3週間たったね。
生まれて1ヶ月たったね。
生まれて2ヶ月たったね。
生まれて3ヶ月たったね・・・・
いつでも消えてしまいそうな儚い息子の「生きている日数」が少しずつ増えていくことを、私は祝った。
そして息子は1歳を迎えた。
ムチムチしていて、元気に動き回り、もう赤ちゃんの頃の儚さはすっかり消えていた。
生まれて1年たったね。
生まれて2年たったね。
生まれて3年たったね・・・
毎日、そして毎月数えていた「生きてる日数」を、今では1年に1回しか数えなくなった。
それはきっと、息子が毎日生きてるということが当たり前になったからだと思う。ちょっとのことでは死なない、そう思わせてくれる生命力が今の息子にはあふれている。
自分の年が曖昧になってしまうくらい、私も生きていることが当たり前になっているんだなと思った。
死ぬことをすごく遠くに感じているんだなと思った。
でも大人になった今だって、今生きていることは奇跡に近い。
次の瞬間、心臓が動いている保証はどこにもないし、やわらかい肌をもち、2本の足でなんとかバランスをとって歩く人間は、よく考えたらなんて弱くて儚い生き物なんだろうかと思う。
そう思うと、32年間も生きていることがすごいことのように感じられた。
32歳の誕生日おめでとう、私。
やっと心からそんな気持ちが湧いてきて、32歳もこの命を、1日1日大切にしようと気持ちを新たにしたのだった。