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悪夢が終わらない

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この物語は実話です。
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2020年8月の記事一覧

友達の暗い過去を知る

 八月十九日(金)砂原

 野田君が全く屋上に姿を見せなくなった。不思議に思い昼間病室を訪ねてみると、具合が悪い訳ではなさそうだった。しかし僕が何を言っても「ちょっとね」と言ったきり、夢遊病者のような目でテレビを眺めている。事情を聞こうと屋上に連れ出し、野田君を問い正した。

 いつものベンチに座ってもしばらく心ここにあらず、という感じでぼんやりしていた野田君は、やがて決意したように一度大きく息を

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裸族の村で王になる

 八月二十日(土)田渕

 またまたまたまたまた妙な夢を見た。

 私は辺境の地にいた。村人たちは男も女も皆裸で、最小限のところだけ隠している。首飾りや腕輪などの装飾品を身につけ、逞しい上半身には赤や緑で幾何学的な模様が描かれていた。ここは以前テレビで目たような、いわゆる裸族の村らしい。

 村の様子を眺めていると、ある男が私に気づき、私に近づいてきた。周囲の家からも続々と人が出てきて、あっという

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夏休みお悩み相談室

 八月二十一日(日)大沢

 隣の砂原少年がベッドに座り込み、昼間から深刻な表情で唸っていた。「どうした、少年」と尋ねると、しばらくの沈黙の後、「もし友達が学生時代にいじめられていて、何年も経ってから復讐すると言い出したら、どうするか」と質問された。

 「助けるね」

 「助けるって、その復讐をですか」

 「場合によっては」

 「時と場合って、下手したら傷害罪とかで捕まるかも知れないんですよ

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(親不孝)娘が見舞いに来る

 八月二十二日(月)福留
 
 娘が突然見舞いに来た。

 入院以来だったので思わず「何の用だ」と言ってしまった。

 「何の用だって、ただのお見舞いよ」

 「そうか。見舞いの品は」

 「お父さん糖尿でしょ、甘いものダメだからお煎餅」

 「煎餅は食わん」

 「年なんだから歯は使った方がいいわよ。ボケ防止にも噛むのがいいんだって」

 「わしはまだボケとらん、下らんことを言いに来たなら帰れ」

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友達の復讐に付き添う

 八月二十三日(火)砂原

 昼食後の薬を飲み、Tシャツとジーンズに着替えると野田君のベッドへ向かった。本来なら服用後二時間は安静にしていなければいけないが、昼寝している間に彼がひとりで出かけてしまったらまずいと思った。 

 向かいの二一一号室へ入り、カーテンの上から覗くと、野田君はヘッドフォンをして雑誌を読んでいた。「砂原だけど」と顔を出すと、野田君は露骨に嫌な顔をした。

 「今日、ライブの

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裸族の村で虫を食う

 八月二十四日(水)田渕

 私は玉座にあぐらをかいて座っていた。

 左右には男女の付き人が数名立っていたが、その中には通訳の男の姿もあった。通訳は口元にいやらしい笑みを浮かべながら目配せをよこしてきたが、私は無視した。それでもまだ視線を感じたので、威厳を込めて咳払いをひとつすると、その場にいた誰もが姿勢を正し、部屋は静寂に包まれた。

 ついに私は彼らの言う「運命」を受け入れてしまった。まさか

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外出許可を取って酒を飲む

 八月二十五日(木)大沢

 入院中に無事退職届が受理されたので、日曜、月曜と一泊二日の外泊許可を取り身辺整理に時間を費やした。ついでに、妻に会って食事した。見ない間にまた髪型が変わっていた。

 病院には夜九時までに帰ることになっていた。これから仕事だという妻と別れたあと、一ヶ月前まで同じ病室に入院していた、森尾泉と待ち合わせして飲んだ。

 適度にほろ酔いになった帰り道、なぜか隣のベッドの砂

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悪夢に気づかない

 八月二十六日(金)福留

 私が幼い頃はクーラーなどなかったため、夏は扇風機で過ごすのが当たり前だったのだが、ここ病院では一日中クーラーがついている。機械の吐き出す冷風を浴び続けるのは体によくないのではないかと思うが、消すと隣の田渕さんがものすごい寝汗でうなされるので、我慢している。「今日はどんな夢」と聞いても教えてくれない。どうせまたイボ痔の夢だ。普段の行いが悪いから変な夢ばかり見るのだろう。

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復讐が未遂に終わる

 八月二十七日(土)砂原

 久しぶりに雨が降ったので、屋上のベンチではなく、マンガ室の汚い椅子に野田君と並んで座った。入院初日も、確か雨が降っていた。

 野田君の復讐は未遂に終わった。大沢さんが現れてくれた時は本当に助かったと思った。帰りのバスの中で、野田君はかすかに笑っていた。新井という男か、それとも自分か、何かを許しているような、そんな風に見えた。

 夕食後に病院を抜け出したのがばれたせ

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悪夢の起源

 八月二十八日(日)田渕

 「殿、お気を確かにお持ちくだされ」

 私そっくりの顔をした男が眠っているのを、浮遊した私が見下ろしていた。私によく似た男は明らかに顔色が悪く、今にも死にそうな顔をしている。

 マゲ姿の彼が着ている寝巻きには金粉が施されており、掛け布団にもきらびやかな鶴の刺繍がしてあることから、私によく似たこの男は、かなり身分の高い人間であることがうかがえた。そして彼を、老中のよう

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犯罪者に気づかずスルーする

 八月二十九日(月)大沢

 以前この病室に入院していたという男が検査のついでに病室に顔を見せた。砂原少年や福留さんとひとしきり話したあと、自分がいたベッドを今現在使っている俺の顔をちらりと見て、「これから仕事なんだ」と背中を向けた。男の視線に妙な感覚を覚え、彼の後を追った。

 男の視線は僕ではなく、その向こう、自分がいた空間自体を見ているようだった。そして何かを思い出しているようだった。ただ単

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キツイ映画を紹介しあう

 八月三十日(火) 野田

 砂原君と人間のエゴについて描いた映画の話で盛り上がった。僕は「ドッグヴィル」と「セブン」を、砂原君は「es」という映画をそれぞれ挙げて議論に望んだ。「セブン」は二人とも見ていたが、「ドッグヴィル」と「es」についてお互い見たことがなかったので、ストーリーを説明しながら感想を交互に述べた。話し終わると砂原君は「きついね」と言った。僕も同感だった。

美しい日々

 八月三十一日(水) 砂原

 夕食を食べながら、窓の外の景色を眺めていた。夕焼けでオレンジに染まった芝生の上を、ボールをくわえた白い犬が、飼い主めがけて走っていく。

 そろそろ僕も、ここを退院する頃だろうか。数日前ふらりと現れた榊さんを見て、外の世界にいることへの嫉妬と羨望を覚えた。しかし同時に、外の世界へ戻ることは、今の生活が終ることだと気づき、寂しく思った。入院当初はあれだけ疎ましく思って

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