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結果は“残す”ではなく“知る”から始めるべき

よく言われる言葉
「結果を残しなさい」
最近よく思うこと。
それは、結果を残そうとするのは時間がかかるということ。
結果を残そうとしたとき、準備や努力をする時間が必要になる。
もちろんそれを否定はしないし、結果を残せるに越したことはない。
ただ今回は、良い結果にこだわるのではなく、失敗でも大敗でもいいから、初めはやってみることが大切だということを伝えたい。
例えるなら、フルマラソンに出ると決めた時、多くの人が42.195キロを走り切れる体を作ってから挑もうとする。
でも、まだハーフしか走れそうにない体でも、チャンスがあるならやれば良い!
それは意味がないことじゃない。
まだハーフしか走れないことがわかった大会になる。
よく、「今やっても意味がない」と言って挑戦をしない人がいる。
俺もそうだった。
でも、本当にそれで良いのかと思った時に、答えはNOだった。
特に若いうちは特に大事だと思う。
「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」という言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。
まさにこれが大切。
なんでも調べられる社会になったことで、確率はどうだとか割合はどうだとかっていうことが簡単に知れてしまうから挑戦を避けてしまいがち。
わかりやすい例だと受験。
みんなが気にするのは、行きたいところの倍率や自分の成績で合格できるかどうかの確率だろう。
そして、面談で先生は保護者にこう言う。
「お子さんのレベルだとこの高校がいいと思います。」と。
でも、果たしてそれは正解か??
いや、今の俺なら不正解だと言う。
じゃあ、どうするのが正解か。
それは、
「自分の行きたいところを選びなさい。」
と言うこと。
ここで大事なのは、「行けるところ」ではなく、「行きたいところ」であるということ。
そして、
「精一杯やってみなさい。」
と言うべきだと思う。

ここでもう一つ、大切なこと。

想像で片付けるな。結果を知れ。

「どうせ無理だったけんやらんでよかったわ」
「どうせ無理だけんやっても意味ない」
こんなこと言って、やらんかった自分を肯定して、満足して良いのか。
いや、絶対に後悔する。
もし、俺が今から東大に行きたいと思ったなら、俺は全力で取り組み、試験を受ける。
その結果がダメだったなら、俺は満足できると思う。
でも、想像で無理だと決めつけて諦めてしまえば、いつまでも「受けていたらどうなっていたんだろう。」という問いは消えることはない。
だから結果を知るべきだ。
美術館に誘われたら、興味がないから断るんじゃなくて、行った結果興味がないかを判断しろ。
食わず嫌いでずっとなんとなく食べてこなかったものがもしかしたら大好物かも知れないぞ??
あとは、想像で片付けるやつの人生って面白くないと思う。
振り返った時、フォルダが空っぽで困るのは自分だ。
なんでも想像で片付けて、何も残っていないから。
だから、改めて、挑戦することは大事だと伝えたいし、自分自身もまだまだ挑戦したい。

失敗したら取り返せば良い。
失敗したら笑い話にすれば良い。
失敗したら次頑張る活力にすれば良い。

失敗を避けている限り、良い結果は出ない。

去年の俺がそうだったから断言できる。
大学サッカーで、ミスを恐れてプレーしてしまった。
その結果、ゴミみたいなプレーばかりだった。
唯一良かったと言えば、肩を脱臼して半年以上サッカーができず、公式戦自体も3年ぶりというなか、辞めずに試合に出るために頑張り、試合に出て自分がビビりだったと知れたことだ。

どんなに優れている人も必ず失敗する。
むしろ失敗の方が多い。
でも、その失敗を活かすから優れている。

誰にでも挑戦権はある。
あとはやるかやらないかだけ。

まぁもしも想像で語りそうになったら、WANIMAさんの「やってみよう」を聴くしかないかな。笑

面白い毎日にしたい!
ただ、そう思って書きました。

誰かが挑戦するきっかけになったのなら嬉しいです。


「嫌なことがあった後には、必ず良いことがある」




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