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劇場で働く~わたしの祖母の物語⑥

どうにか六年卒業した妾は女學校に行く事をたのみましたがゆるされず、劇場の手伝いをする事になり、東京から送られてくる物も「不自由はさしてゐない」と父に怒れてことわりの手紙を出しました。

その後、東京からわ何も送ってこなくなりました。

父は古い劇場をこわして、二條西三丁目有楽座と云ふ常設館を立てました。

どうじに父の弟夫婦も来て大かぞくに成りました。

妾はテケツ、兄はギシとして働く事に成りました。

父の力ぞえもあって、劇場の前に床屋を出した叔父は結婚して、やさしい叔母もおりました。

妾しは泣きたい時わ、いつもそこへ行きます。

劇場にわ、いつも出入の師匠がゐたので、芸事のすきな妾しわ三島さんについて義太夫を習いました。

其の頃は活動写真と云って、弁士が舞台に立って、役者のセリフを云ふのです。

裏方といって、三味線、タイコの鳴物入りです。

楽士と云って、ピアノを打つ人を初め何時も四五人ボックスはいって居ます。

映画は、洋画、時代劇、現代劇の三本だてに、実写が一本はいります。

祭日は二回で、平日は夜一回だけです。

舞台の裏は楽屋と云って、動いてゐる人でどくしん者ばかり十人あまりもゐます。

これらの食事仕たくをする女中さんも二人おりました。

映画であわの鳴仁と云ふ義太夫の●来た時です。

オツルの役をやる弁士がいなかったので、師匠が妾しにやる様にとの事でした。

自分の家でも有り、師匠がそばにゐる事も有って、思い切って舞台に立ちました。

大ぜいの人の前の妾しは一生けん命でした。

何が何んだかわからぬうちのおわった、とたんに妾しはほめられました。

この時の父は大悦びでした。

弁士が一人たすかると思ったのでせう、だがなぜか祖父母だけはうれしさうでわ有りません。


※ほぼ原文ママ。
※句読点は読みやすさを考慮して追加。
※写真はイメージ。


【登場人物】
妾し(幸子):この物語の主人公。T.Yamazakiの祖母

ノヱ(小野ノヱ):幸子の母。
楯身(楯身友蔵):幸子の養父。
小野康太郎:幸子の祖父。
ノブ(小野ノブ):幸子の祖母。
武士(小野武士):幸子の叔父、ノヱの弟。


有楽座:今は「NUPS」という複合施設になっているところにあったそうです。参考:北見市の映画館 - 消えた映画館の記憶 (memo.wiki)
テケツ:チケット売りのこと。参考:切符
あわの鳴仁:前後の文章からおそらく「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」の事かと思われます。参考:傾城阿波の鳴門 | 清和文楽館公式サイト (seiwabunraku.com)

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