見出し画像

小学生の頃イギリス帰りの友達がトランペットを教えてくれて先生を紹介してくれた話

noteはこのシンプルでスタイリッシュな雰囲気によってちょっときつい自分語りもイケてるエッセイのようにしてくれる。気がする。だから意外と音楽家の友達にも話す機会が少ない「トランペットを始めたきっかけ」について長い自分語りを書いてみよう。吹奏楽部で始めたわけではないから珍しいタイプだと思う。

「音が出せない」楽器をやってみたかった

子どもの頃から多少ピアノには触れていたものの機会がなくて習ってはいなかった。バレエを習っていたからなのかクラシックはとても身近で、みんなが聴いていたJpopには全く興味がなかった。初めて買ったCDもモーツァルトのピアノ協奏曲第20番21番だった。アシュケナージ。

リコーダーも少しはおもしろかったが簡単に音はでるし見た目もシンプルすぎてかっこ悪いと思った。小4の頃音楽の教科書にクラリネット、オーボエ、フルートを紹介するページを見つけ、惹かれたが次のページには金管楽器が載っていた。

このどれかをやりたいなーと漠然と思っていた。とにかく音を出すこと自体が難しそうな楽器をやりたかった。

イギリス帰りの友達

小4の当時一番仲のよかった友達は2年前にイギリスから帰ってきたばかりで、イギリスでトランペットを習っていたというすごいやつだった。全校生徒でトランペットが吹けるのは彼だけ。これはおれもトランペットを吹けるようになってやろう、と思った。

5年生になると月に何回かクラブ活動的なものがあり、「音楽クラブ」に入れば楽器を貸してもらえるということで入部した。小学校には数十年前に鼓笛隊があったらしく、音楽室にはトランペットがたくさんあったのだ。

友達にどうやって音がでるのか聞いて初めて吹いてみた時普通に音がでた。今までには体験したことのないような感動があった。友達はすごく良いやつだったから昼休みに少しずつ教えてくれた。

鉄棒しながらバズイングの練習をしたのが懐かしい。バズイングはなんとなく最初からできたからブーブーあそんでいた。それでカエルの歌吹いたり。

音をだすだけで楽しい

「この曲が吹きたい」と思って始めたわけではなかったから、どうやったらきれいな音がでるのか、広い音域が出せるのかという「トランペットの音を出すこと」への好奇心がどんどん高まっていった。ただ音を伸ばしているだけでもおもしろかった。

あまりにもできなさ過ぎて、半音でも新しい音域がでればすごい達成感。今までどの楽器をやってみても感じたことのないおもしろさだった。少しでもメロディーが吹けたときの感動もすごく覚えている。

そして「他の誰もできない」みたいな優越感もあったのかもしれない。音はでても汚い音しか出ていなかったから、きれいな音がでる自分が特別な感じした。

楽器があまりにもひどい状態だった。ピストンはいくらオイルをさしてもまともに動かないし何より臭すぎた。マウスパイプには穴が開いていてそれがテープでぐるぐる巻きになっていて、マウスピースは内側が緑に錆びていた。

親にねだったら中国製の1万円くらいのトランペットを見つけて買ってくれた。

偶然近所に神代修先生がお住まいだった

その友達は逗子にお住まいの神代修先生に習っていたから、おれも習いたい!といったのだが先生は古楽器の研究のためにスイスへ留学されており不在だった。そして5年生の3月、春休みに先生が帰国されたということでレッスンを見学に行った。

そのレッスンのことは今もよく覚えている。先生が「これがナチュラルトランペットってやつだぞ」と、まだトランペットという楽器を触って間もない自分に手渡した。

初めてのナチュラルトランペットをいきなり吹いてみようとしたが音はでなかった。

「音が出なかったら相手にされないかもしれない!」と一丁前に焦った記憶がある。

レッスンで先生が説明されていたことは当時全くわからなかったから少し心配だったが、初心者にもレッスンしてくださるということで通うことになった。

「そういえばどんな先生なんだろ~」と思い先生の名前を検索してみたら東京藝大卒、日本音楽コンクール1位、プラハ春の国際コンクール入選などあまりにもすごいプロフィールだった。

「めちゃくちゃすごい先生がたまたま家から10分の所に住んでいて初心者からレッスンしてもらえるなんてこれはトランペット奏者になる運命に違いない!」

と小学生の自分は思ったのだった。

自分はこの時点でトランペット奏者になると心に決めた。卒業アルバムにも「トランペッター」と書いてある。まさかその後ロシアに行くとは想像もしていなかったが、夢が叶ってよかった。



この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートをいただけたらうれしいです。帰国の渡航費の足しにします。