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即興することと音楽 山下光鶴に学ぶ

先日、ベルリンにいた頃20歳からの友人であるギタリストで作曲家の山下光鶴が長崎から鹿島に来てくれ、3泊4日を共に過ごした。

彼は本当に素晴らしいアーティストで、初めて出会った頃から既に成熟した考えを持っており最も尊敬する同世代の音楽家の1人だ。
ベルリンに住んでいた頃、sophie charlotte platzというU2沿いのところに住んでいて、彼も最寄りが同じだった。
当日19,20歳でドイツに来ていた同世代はほぼいなかったのもあり、よく一緒にコンサートを聴きにいったりビールを飲んだりした。
ヴュルツブルクに進学した後もベルリンを訪れる時にはいつも快く泊めてくれた。そして大抵は向こうが締切前の切羽詰まっている時だった。
鍵を部屋に閉じ込めてしまい途方に暮れた時も、徹夜する勢いで課題をしている中泊めてくれた。とても親切なギタリストだ。

そんなテルカクもちょうど同じタイミングで完全帰国し、長崎に住んでいる。
どうにかこちらで演奏を披露してもらいたいということで昨年10月には逗子と東京でリサイタルを開いてもらった。

「テルカクとコンサートをする」ということはずっとやってみたかったものの、案外クラシックギターとクラシックトランペットの組み合わせは難しい。
もちろん彼は作曲家だから、曲を書いてもらいたいとは思いつつ中々実現はできずにいた。

ロシアにいた頃に、バレエと日本舞踊+ギター、トランペット、打楽器という作品を作ってみたいという話が出ていた。

そのプロジェクトをいつか実現させたいということで、テルカクは飛行機で遥々東京まで来てくれたという訳だった。

一体どんな音楽にするのかと思ったが、彼の案は「即興」だった。

バロック時代も、ジャズでもトランペット奏者は多くの時代でやってきた「即興」。しかし自分はジャズをやったことがないしまるで経験がない。
できるようになりたいとは漠然と思いつつ、都合良く学ぶ機会はなかったし自分でそれを得ようとはしてきていなかった。

そんな中でテルカクが一から即興についてをギターを弾きながら実践的に教えてくれた。

ギターからでる静かな音楽の中で、ルールの中でトランペットを自由に演奏していく。
トランペットばかりが抜けてあまりギターと混ざらないのではないかと思っていたが、彼の作り出す雰囲気の中でそっと音を出していくと不思議と違和感のない響き。
「ギターを消さないように小さく吹こう」としなくても自然と優しい音が出せるような不思議な感覚だった。

そこに打楽器が重なっていく。

様々なルールを教わりながら、無制限にループしていく中で黙々と試す。なんだか瞑想していような状態。
「覚えたものを正しく吹く」ということとはまるで違うことをやるのは楽しかった。

その中でコード進行を何通りも試していく。
コード進行そのものが曲で、メロディーそれに付随したふわふわとしたものだ。

メロディーが曲を作っているようでコード進行が曲そのものだということが実際に感じられる。

即興演奏は普通に楽譜を演奏するのとはまるで違う頭の使い方をしており、それがむしろ健康的に感じられた。
人と演奏する時に感じる一種の窮屈さとは違う一体感がある。

他にもバロック時代のスタイルのクラシカルな即興をやったりした。とてもシンプルなコードにシンプルな旋律を乗せていく。
ああ、この動きはやっちゃダメなやつだということや、確か和声の本に書いてあったなと思い出したりした。
外国語と同じで、会話の実践なく文法だけを勉強しても使いこなせるようにはならないのと同じだ。

起きている時間ほとんど音楽をしているか音楽の話をしているかだけのような生活は合宿のようで、とても楽しい非日常な生活だった。

ジャズも本当に勉強したらとんでもなく楽しいのだろうなとつくづく思う。トランペットはせっかくジャズの楽器でもあるのだから、楽器が吹けなくなってから「ジャズをやっておけばよかった」とならないよう、
何歳になっても色んなことに挑戦しようと思った。

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