見出し画像

学部首席を取るまでのはなし

#1「小学生編」

 自分は、小学生の頃から、不器用なところがあったが、負けず嫌いで、一通りこなせないと気が済まない性分だった。そのため、表面的には、見よう見まねでそつなくこなしているように見えていたと思うが、その裏では自分なりの努力があった。逆上がりのテストがあれば、公園で自主練習をしたり、放課後に友人と遊んだ帰宅後は、通信教材で勉強をしたりしていた。前述のとおり、かなり不器用なところがあるので、コツを掴むまでに時間がかかり、理解できないと癇癪を起こす。要領よくこなすスマートな印象からはほど遠かった。
 人見知りで引っ込み思案な性格から、部活動にも入らず、習い事にも通わなかったが、走ればリレーの選手に選ばれ、習字のコンクールがあれば選出され、読書感想文や絵画は、学内で掲示されていた。ありがたかったことは、運動部に所属していたり、学習塾や習字などの習い事に通っていたりする同級生たちから、自分が目立つことへの敵対的なエネルギーを感じなかったことだ。ただ、リレーの選手選抜の際に、運動部の同級生を抜かしてしまったことがあり、悔しがっているその子を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。運動会において、学年をまたいだ色別対抗リレーは最終種目の花形競技である。ただし、運動会の終わりの瞬間まで緊張が解けない色別対抗リレーは、チームの総合成績において重責なので、できれば誰かに代わって欲しいと思っていたのが自分の本音だった。一緒に走る別チームの子は、運動部に所属しており、クラスで一番速かった。自分はとりあえずバトンを繋ぐことだけに集中していたが、まさか1位でバトンが回ってきたのが自分の所属する赤チームだとは夢にも思っていなかった。後ろにはクラスで一番速い子の足音がすぐ近くに聞こえてくる。何とか抜かされることなく、同着ぐらいで次にバトンを繋ぐことができた。バトンを渡すときに心のなかで、「あとはよろしく」と呟いた。その後の赤チームのメンバーが精鋭揃いだったのか、そのまま1位を譲らず赤チームが優勝となり、閉会後に味わった解放感は格別だった。
 自然な流れで、学級委員などの代表に選ばれるが、目立つことが苦手な自分は、「他にも候補者がいる中で、どうして自分なんだろう」と思いながら毎度タスクをこなしていた。遠足の出発の挨拶なども頼まれたが、心臓がバクバクして、当日タスクが終了するまで全く楽しめない。ただ、無駄にポーカーフェイスなので、自分の緊張が表面には出ていなかっただろうし、その責務が負担だと訴えたこともなかった。
 

→#2「中学生編」へ続く


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、創作活動の糧にさせていただきます!