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Vol.5 フィンランドで見つけた"良い困り感"

このnoteでは2023年の8月にフィンランドの小中高/職業専門学校を訪れる中で発見したことをまとめていきます。恐らくこのnoteは次のような方に何か気づきを届けられるかもしれないです。

・学びのモチベーションを内発的に生み出すための環境づくりや授業づくりを考えている人
ジブンゴトとして学びに向き合える授業づくりを考えている人

▼ 学びの記録
vol.1「Finlandで見つけた「信頼」の文化」(リンク
vol.2「Finlandの小学生と考えてみた"良い学習環境とは?"」(リンク
vol.3「Finlandで見つけた"多様性の考え方とは"」(リンク
vol.4 「Finlandで見つけた"Simpleな教員の生き方と子どもの学び方とは"」(リンク
vol.5「Finlandで見つけた"良い困り感とは"」

キーワードは「良い困り感」と「ジブンゴト」です。


フィンランドの教育と聞くと、すごく安心できる環境の中で子どもたちは自由に学んでおり、宿題が少なかったり、受験のような外発的な動機づけとなる教育システムでなくても、人々が自らの人生において選択して幸せに生きることができているのはなぜなのでしょうか。
「どのようにして、子どもたちの学びの動機づけをしているのか?」

今回の教育視察では、様々な文脈で現場の先生方の子どもたちに良い困り感を感じさせることのできる環境設定の考え方から学ぶことが多くあり、今回はこれについてまとめていけたらと思います。

良い困り感と適切な環境設定は学びのきっかけを生み出す。

私なりの仮説

・ インクルーシブ教育の考え方

フィンランドの教室環境

キーワード「インクルーシブ教育は社会そのもの」
インクルーシブ教育の考え方でいうと、フィンランドの教室では障害を持っている子も持っていない子も一緒に学ぶ考え方を大切にしています。もちろん、一人一人に合わせたジェネラルサポート(合理的配慮)や特別な支援を受けながら同じ環境で自然に学べることを大切にしているのですが、この先生の想いはここだけではなりませんでした。

フィンランドのインクルーシブ教育(参考記事リンク

思いをもって伝えてくれた言葉は「インクルーシブ教育というのは社会そのものなので、その子が社会に出た時に困らないように同じ環境で学ぶことを大切にしている」という言葉でした。この言葉も一見すると、インクルーシブ教育が大事だから全ての子どもが一緒に学べばいいというのではなくて、適切なサポートや環境設定を教員が行いながら、その子にとっても、一緒に教室で学ぶ子どもにとっても意味のある学びが得られる環境設定が重要であり、そのための先生の観察力と環境設定の重要性を感じました。

・ 学びをジブンゴトにする現代社会の授業

校長先生の社会の授業の様子

キーワード「社会問題からジブンゴトに」
こちらは、フィンランドの高校の校長先生の現代社会の授業を英語で受けた時に印象を受けてことをまとめてみます。この時の視察は8月上旬で、オリエンテーションの授業が多く、現代社会の1番最初の授業を受けました。感覚としてはTEDの授業を受けている感覚でした。まず印象的だったのは「この現代社会の授業で扱うテーマは過去の出来事でも未来の出来事でもなく、今(今日)起きていることを学びます。」という校長先生の言葉から授業が始まりました。授業は知識を与える一方通行の授業ではなく、生徒と対話をしながら双方向のやり取りがある授業でした。
具体的な事例として、今日のニュースでフィンランドの高等学校の予算を減らす方針を政府がだしました。もし、予算が削減されれば今私たちが受けている高等教育の質のサービスが下がるかもしれません。これについて、皆さんはどう思いますか?(生徒は考えます…)また、今フィンランドではギャングが社会の中で問題になってきており、もしこの状況がエスカレートすると、今のフィンランドの治安や安全を保つことが難しくなるかもしれません。これについても皆さんはどう思いますか?(生徒は考えます…)実際に2024年の4月2日にフィンランドの小学校で悲しい事件も起きました。ここと繋がるかは分かりませんが、校長先生の問題提起を思い出させる出来事でした。
さらに、校長先生は続けます。「今、日本にも同じような問題はありますか?或いは、今日本ではどのような問題が社会の中で起きていますか?」この場には、日本からきた大学生から社会人までがいたのですが、なかなか今日本の中で起きている重要な課題について問われた時にすぐに答えることが難しいことにハッとさせられました。

・ 語学学習の考え方

フィンランドの学校で日本文化のワークショップの様子

キーワード「興味からジブンゴトに
「フィンランド人はなぜ「学校教育」だけで英語が話せるのか?(リンク)」という本が出版され、確かに私の経験からもフィンランドの子どもたちは英語を話せる人が多いです。その理由について現地の先生に聞いてみました。

「フィンランドは人口が少ないので、アニメや映画、ゲーム等が母国語であるフィンランド語に翻訳されないものが多いので、趣味を広げるためにも英語が必要になってくると話します。実際に、ゲームやアニメが好きな子どもほど英語を話せる人が多く、学校の英語教育だけでない影響がある。」

"英語が話せないと趣味が楽しめない、広げられない"というのも子どもたちにとっては良い困り感で、日本だと日本語だけで仕事もできるし、趣味も楽しめるからこそいい意味で語学に関しては日常生活の中で困り感を感じないことも日本人が英語を話せない大きな原因の1つなのかなと思います。自分自身もカンボジアやフィンランドで生活をしていると、現地の言葉でしかコミュニケーションが取れない状況の時に、現地の人とコミュニケーションをとりたい気持ちが、必要感というより内発的な動機で言語を学ぶモチベーションが上がったのを思い出しました。日本でどのように言語を学ぶ必要感を生み出すのか。なかなか良い問いな気がします。

・ キャリア教育の考え方

フィンランドの専門学校

キーワード「自己理解からジブンゴトに
フィンランドでは中学3年生(9年生)を終えると、日本でいう普通科の高校か職業専門学校のどちらに進学するのかを選択しなければならない機会があります。日本だと、中学から高校はあまり迷わず、多くの人が普通科の高校に進学するのですが、フィンランドでは約半数が高校に進学し、半数が職業専門学校に進学します。ここでの割合は地域によっても異なります。
また、日本だと学力による偏差値(外側に出る数値)から自分の道を選択する機会は多いのに対して、フィンランドでは「自分がどのような環境で学びたいのか?何を学びたいのか?これからにどのように繋げていくのか?」というあくまでも自分の内側(内面の数値化できないもの)と向き合いながら選択が迫られます。まさに、自分自身を知らないと選択ができない環境であり、これは15歳の子どもたちにとっては大きな進路選択の機会になります。この選択の機会も「自分自身と向き合うための良い困り感」になっているのではないかなと思いました。日本だと、自分自身の内面と向き合いながら何かを選択するのは、もしかすると就職活動が初めての機会になり、だからこそ「自分が何をしたいのか分からない。」と大学卒業間近に感じる人が多いのではないかなと思います。偏差値や学力以外で自分自身を知れる機会の重要性を感じました。

・良い困り感の先にあるもの

Oodiの図書館の様子

良い困り感を感じた先にどんな学びの機会があり、どのような社会があるのかも重要なポイントだと感じました。例えば、インクルーシブな教室環境で学んだ先にある社会がインクルーシブな社会でなかったり、現代社会の授業で政治をジブンゴトにする機会があっても、若者に対して政治が閉ざされていたり、語学が分からず趣味が楽しめない中で、コミュニケーションとしての語学を学べる環境がなかったりしたら…。困り感だけ残り、その先に学びが連続していかないと思います。ここから学べることとして「良い困り感=困り感を感じた人が誰かのサポートをもらいながら自分の意思と力で乗り越えられるもの」なのかなと思いました。困り感をどのようにして学びの中でデザインするのかは、フィンランド教育で大切にされているキーワードの1つなのかなと思いました。

・ 良い困り感を考えるWS

最後に、今回の研修を経て私たちが提案したいワークショップがあります。「日本の学校教育を受けて、社会に一歩出た私たちが感じている困り感とはどのようなものでしょうか?」「ここで生まれた困り感を授業を通して、子どもたちと一緒に考えたり、乗り越えるスキルを身につける授業をすることは可能なのでしょうか?」もしかすると、今の日本の学校教育を受けて社会に出たからこそ気づけた困り感から生まれた教科書は「生きる力」を本質的に捉えた教材ができそうだなと思いました。まずは、私たちの社会に出た時の「困り感」から「子どもたちが生きる力を育む」授業をデザインするワークショップのアイデアをここに残して置きます。

・ これからも考え続けたいこと

子どもたちが学びに向かう環境設定をするにあたり、コンフォートゾーンとストレッチゾーンの考え方があると思います。子どもたちにとって、必要な困り感とそうでない困り感の見極めって実はとても難しいのではないかなと思います。例えば、子どもが喧嘩をしない環境設定を大人が全て先回りをして作ってしまうことは自分とは違う考えを持つ人との関係性を構築していく機会を奪うことに繋がり、反対に子ども同士の喧嘩で双方に解決できない状況を大人が放置してしまうことも人と関わることに精神的な苦痛を感じることに繋がる可能性もありどちらも良く状態ではないと思います。「良い困り感=困り感を感じた人が誰かのサポートをもらいながら自分の意思と力で乗り越えられるもの」と定義した時に、子どもたちが内発的に成長していける授業(環境設定)のデザインをこれからも模索していけたらと思います。

いつも読んで頂きありがとうございます。

moimoi!

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