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友人の死。残されたモノに課されたコト。

先日、友人の一人を亡くしてしまった。事故だった。まだ若い49歳。まだまだやりたいことあったに違いない。行き急いでしまったなと。

1月12日にその友人を含んだライングループにちょっとした報告をしたところ、別の友人からはすぐにレスポンスがついたのにも関わらず、友人からのレスポンスが無かった。いつもなら結構すぐに既読になるも、そうもならずどうしたものかと思っていた。

1月19日に友人の旦那さんからそのlineのグループにコメントが入った。「友人が亡くなった」と。一瞬、「え!?」となった。訳が分からないとはこのことである。「本当なの!?」すぐに共通の友人と連絡をとった。お互いに訳が分からない状況である。とりあえず、友人宅に伺いたいと思い、連絡を入れた。

1月22日に友人の住まいに向かった。向かう途中に色々と話をしていたが、やはり混乱していた。事実として受け取るにはまだ時間が必要なのだと思った。住まいに向かう車中も色々ともやもやしていた。

都内から小一時間のところにある住まいに着いた。その夫婦の友人も来ており、こんな形でお逢いしたくなかった旦那さんと対面した。そこで亡くなった経緯を聞いた。どうしても「たられば」があるように思ってしまうけれど、亡くなったのは事実である。すでに分骨されており、時間が出来ればお墓に伺いたいと思っている。

旦那さんよりも私たちの方が付き合いが長いので、旦那さんが知らない友人の一面をお話したことで旦那さんは何を感じたのだろうか。

友人が結婚したのが2020年のクリスマス。結婚生活は2年と短いものであった。友人は結婚に対して強い希望があったという。色々と婚活をしていたがうまくいかなかったという。そして出会った旦那さんだったのに・・・。なんか受け入れがたいものがある。2022年は色々な思いでが作られたと聞いた。2023年も同じ位かそれ以上のことを夫婦として考えていたのではないだろうか。それにしても2023年になってすぐにこういったニュースが入ってきてしまった。まだまだ受け入れられていないところがある。

なんだかなー。

若くして亡くなると簡単によかったと言えないものである。旦那さんも再婚するといっても離婚ではなく死別である。友人の両親は健在ではあるし、何か簡単な人生ではないなと思ってしまう。

大学時代の友人は20代で亡くなり、彼はそれ以上歳をとらない。若いままである。友人もこれ以上は歳をとらない。自分の中でどういう折り合いをつけていけるのだろうか。

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