アカルイミライ ~変化を受け入れる~

ここ100年は、「悲観主義者」は、その時代のトレンドによって変わってきている。

20世紀初頭は、感染症による人類滅亡が起きるといわれた。世界大戦の後、核戦争による崩壊した世界が来るといわれた。石油の枯渇による世界の滅亡論もあった。

そして現代のトピックは環境問題である。

100年間の二酸化炭素の増加量だけ考えると多いのかもしれない。しかし、地球誕生から考えると些細な問題であるかもしれない。

悲観的なニュースは、視聴者にとっては明るいニュースよりセンセーショナルに捕らえてしまう。ネガティブなニュースの方が視聴者にとって見応えが出てくるのである。

2020年現在、新型コロナウイルスが世界的の政治、経済に影響を与えている。今年は、休みを取ってフランスとオーストラリアに行く予定であったが、新型コロナウイルスによってそれも出来なくなった。その代わり、国内の旅行や移動に目を向けることが出来た。こういった視点の切り替えが出来るかどうかで物事を明るく見れるかどうかが変わってくる。

他にも異なった見方として、2000年代初頭の中東情勢においても、宗教的なバックグラウンドがキリスト教かイスラム教によっても見方が変わってくる。キリスト教からすれば正義の鉄槌であり、イスラム教からすればアメリカの横暴にしか見えていない。

他のnoteでの投稿でも書いたのだが、ある点において、ここ数年の就職活動している人にとっては、新型コロナウイルスにて弱い企業の淘汰を確認出来たという面もある。旅行関係、特に、ANAやJALを目標としていた学生にとっては舵取りを変えないといけないだろう。

確かに今回の就職氷河期は、これまでのものとは異なっている上、学生側にさらなる個性と技能を求めているように思える。しかしながら、ここ数年で色んなインターネット的な環境も変わってきている。SNSにて自らの価値を更新することも出来る。企業側もワードやエクセルといったオフィスソフトウェアだけでなく、twitterやSlackなどのコミュニケーションツールをいかに使えるかも見ていくことになるだろう。

新しいことが社会での価値へとシフトしようとしていることは、未来が明るくなっていきていると私は考える。未来に進めるのは、「変化を受け入れた」ものである。

インターネットによる社会のパラダイム・シフトを目の当たり出来た後に、新型コロナウイルスによるパラダイム・シフトを見ることが出来ることもよい経験と捉えるとしよう。

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