見出し画像

新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その111 ~なぜ悩むのか?~

新型コロナウイルスによる「不安」がひとつの要因として、世界で様々な悲しい事件が起きている。アメリカのジョージ・フロイド殺害は黒人社会への差別を含めて世界的に広まりを見せ、不均衡かつ不安なアメリカ社会が安定しない状況になっている。

新型コロナウイルスのような感染症による状況下では社会的な弱者が虐げられている。インドやイスラエルでのレイプ事件なども方向がある。人々は何に怯えているのだろうか。まずは新型コロナウイルスが未だに不明瞭な点があるからだ。そしてウイルスは肉眼では見えないことからも、感染したかどうかの判別が容易ではない。また無症状の感染者からも感染するため中々歯止めをかけることが難しい病気である。

まだよく分かっていないが若年層であっても重篤化することがあり、日本でも社会復帰が困難な学生の感染者情報の話がある。またTIMEでも感染後に倦怠感が続くという20代の女性の情報もあった。

デール・カーネギーは著書の中で言っている。自ら制御できないことを悩んでも仕方が無いと。新型コロナウイルスに対して個々で出来ることは、出来るだけ密を避けた生活をし、こまめに手指の消毒を行うことしかない。あとは栄養と睡眠を十分にとって免疫力を上げるしかない。

感染はそれでも防げないだろうし、それも現実であることを認めていかないといけない。実際に新型コロナウイルスに対して真っ向から対応している研究者たちもいる。そこに寄付などによる支援という形もとれる。だが心配しても新型コロナウイルスがどこかにいくわけではない。そういった事が分かっていても、パニック状態になればどうなるかわからないのも事実である。

人は自分の好んだ情報しか聞き取れなくなるような傾向を持つことがある。嫌なことは聞きたくない。現状における新型コロナウイルスの事実を受け止めることが辛い人もいるだろう。

デール・カーネギーの言葉に戻るが、大事にしなければ行けないのは昨日(過去)でも明日(未来)ない。今日(今)である。現状に対して腰を据えて理解しなければ手に入れたい明日も来ない。日本国内で見ても戦後の混乱期と同じような騒ぎであるのかもしれない。

目の前にある悲劇も多いかもしれない。そこで逃げるのでは無く、向かい合える心持ちを持たないといけない。今は特に影響を受けてないけれど明日は我が身と思いつつ今を生きている。

悩みが無くなったわけではないが、デール・カーネギーのおかげで悩み方が変わったのは事実だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?