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記録 10月13日・長い、永い一日

10月13日。
また5時ごろ目が覚める。

うとうとし始めてしばらく後、電話が鳴る。
早朝の電話にはいい思い出がない。

時間は7時13分。やっぱり母から。
病院から急変の電話があり、これから向かう、と。
こんな時でも面会は2人まで、私は行けない、とも。

呆然。
本当に急変てあるんだ、というのと、
今日電話をしようと思っていた。なのに。

先週面会してから、ちょうど1週間。
こんなに早く。。。?

次の連絡を待つしかないけど、果たしてそれはどんな報告になるのか。

口の中が変な感じ。
異常に渇いて、何を飲んでもその感じが消えない。
そして変に眠い。

秒針の音だけ異常に大きく聞こえる。
ふと時計を見る。8時52分。

とりあえず動こう、と思っていつでも出かけられるように身支度をして、少し外に出る。
立て続けに見るエンジェルナンバー。

9時半前、妹からLINE。

『8時53分、看取り。」


、、、、、、、、、

あ  、 あ  、、、、、

涙にすらならない。

2週間経ってないのに。

早くいろいろしなきゃいけないけど、動きがのろのろと鈍い。
とりあえず喪服を出したり、数日ぶんの服を用意するのに、何時間かかったかな。

友人から電話。
父の状況を話していた人だから、何か感じたのかな、と思って出ると、「いま、お父さん来てるよ」と。
ようやく涙がぼたぼたとこぼれる。ちょっとこれは後で別に書く。

這々の体で駅に行ったら改札で足止め食らって(登録してたはずのICカードが通れなかった)1本遅れ、やっと新幹線に乗る。
16時前、郡山着。駅に従姉妹が迎えに来てくれる。
いつもだったら、楽しく会話する気の合う従姉妹だけど、流石に口数が少ない。
彼女はもう父に会ったとのことで、いい顔だったよ、と。
最近の父との話を聞く。最後に会った日のこと、ちょっと前は一緒にラーメン食べに行ったりした、とか。

ここらへんから時間の感覚がおかしくなる。

家に着いたのは、日が暮れる前。
すでにたくさんの親戚や近所の人が出入りしていた。

荷物を置くのもそこそこに、まずは父の顔を見に。
仏間に布団が敷かれていて、覆われている白い布を取った。

ああ、抜け殻だ。と思った。


この前会った時とは全然違う。

同時に、涙が溢れた。
悲しいとかそういうんじゃなく、ただ滂沱。
感情は湧いてこない。
冷たい頬に触れても、声にもならない嘆息だけ。

入れ替わり立ち代り人がやってくる。
だいたいの人はわからないし、名前はわかる人でも何年も会ってないからピンと来ない。
妹はきちんと挨拶もしてしっかり振舞っている。
母はまだ電話連絡を各所にしている。
親戚は、葬儀の話したりお客さんにお茶出したり。
なんか私だけ所在ない。泣いてるのも私だけ。

線香番に徹する。
線香消えそうになったら新しいのを立てて、お客さんが来たら顔の布を取る。
お客さんのいない時間は、父の顔を眺めたり触ってみたり。

そして角度を変えると、笑ってるように見えることに気がついて。
また泣けた。


夜7時半過ぎかな。近所の人が来て、葬儀の段取りなどについて話しているのが聞こえた。
私はこのへんのお葬式のやり方もよくわからないけど、隣近所も関わる昔ながらのやり方でやるようだ。
コロナ禍だけど、葬儀の会場では特に人数制限などもなく、普通の葬儀になる模様。
唯一火葬場だけが人数制限がある。

近所の人や親類も皆帰ってから、遺影とか返礼品とか祭壇装花とか決めて、葬儀社に提出する書類(花環とか弁当とかの注文)をまとめる。

そうこうしてたらもう22時。
妹はいったん自宅に帰り、私も持ってきた仕事しながら線香見てるからと言って母を休ませる。

父と二人。不思議な時間。
一献しながら、不謹慎写真とか撮る。

1時ごろもう母が起きてくる。。。
熟睡はできないんだろうけど、もうちょっと寝かすつもりだったのにな〜。
精神状態ヤバそうだもん。

自分の作業の段落ついて、2時半ごろ、布団に入る。
今日は自分の布団出してる時間もなかったから、父の使っていたベッドを借りる。
直近は病院にいたせいか、父の匂いとかはなんもしない。洗剤臭が私にはちょっとキツい。けど、目を閉じたらあっという間に寝落ちた。

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