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記録 10月13日・菊花ひらく

父の前でこれを書いてる。

父と二人。
だーれもいなくなって、まずは一献。


とても穏やかな時間。
帰省時の風呂上がり、よくこうやって二人で話したなー。父はコーヒー、私はビールだけど。

ほんとに気のせいなんだけど、ときどき瞬きして口動かしてるように見えるんだ。
なんか、そこにいる感じがするんだよね。

すごい不思議な感覚。
明らかにそこにあるのは抜け殻なのに、存在を感じる。
たまに声も聞こえる気がする。
お湿りをする唇は冷たいのに。

父は穏やかだったようだ。
前の日も医師と普通に話をして、ありがとうと言っていたらしい。
急変からも、鎮静剤を使うこともなくそのまま静かに息を引き取った、と。

たぶん、父は、言動がおかしくなるところを、父が父でいられなくなるところを見せたくなかったんだと思う。
そして私には、死ぬところを見せたくなかった。

父は、私が死別を経験してから死と私を遠ざけようとしていた。
大好きな叔母が亡くなったときも、知らされたのは亡くなってからだし
その後も親類や知人が亡くなっても、報せは全てが終わってからだった。

それが父なりの優しさだとわかってはいたけど、やっぱり看取りたかったよ。。。

意識があるうちに、最後の挨拶をしたかった。
ありがとう、って直接伝えたかった。

でも、あれが最後だとわかって会っていたら、私は泣かずにはいられなかっただろうしまさに今生の別れな感じになってしまって逆に父に気を遣わせてしまっただろうから、これが最善だったのかなと思うしかない。

そもそも、一度会えたこと自体が奇蹟だった。


昼間、友人がくれた電話。
「いま、お父さん来てるよ」と、伝えてくれた言葉。

死に目を見るのは、お前には荷が重い

肉体は執着になる

苦しくなかったから心配するな

お前はお前の道を行け

お母さんのことは、見てるから


父らしい言葉の数々。

これを伝えてくれた彼女が教えてくれた。
今日は、「菊花開(きくのはなひらく)」という七十二候の日なんだそう。
菊は彼岸の、くくりの花。
そういえば、伯母が、ちゃんと仏滅に逝くんだからなあ、と言っていた。
仏門の家に生まれた父らしい逝き方ということか。

ほんと、らしすぎて笑ってしまう。
でも胸と胃は痛むんだよ。。。

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