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相手に「期待しない」はホントに良いことなの?

夫婦のためのコーチング屋さんを営む、灯し屋のりんぺいです。

仕事でも夫婦でも相手に「期待しない」という考え方はよく言われますよね。僕はその考えには少しだけ違和感を感じるんです。この記事では相手に期待しないことについて、自分なりの考えを書いていきたいと思います。


「期待しない」への最初の違和感

最初に期待について考えるきっかけになったのは、以前勤めていた会社での飲み会でした。メンバーは会社の同僚と3人。ふたりとも僕よりも5歳ぐらい年上の人との飲みでした。

細かい話の流れは忘れましたが、会社や仕事のことについて話しているときに、ひとりから「私は会社にもメンバーにも期待しないようにしている」という言葉が出たのがきっかけでした。理由を聞くと、「期待をしてもガッカリするばっかりだから」「割り切ったほうが楽じゃん」という意見でした。これまで転職を重ねる中で培ってきた知恵だとのこと。

その話を聞いた当時、「なるほどな~」と思いながらも、なにか心に引っかかるものがあったことを覚えています。


夫婦関係にもある「期待しない」という考え

「期待しない」という考えは、夫婦のコミュニケーションでもよく言われるような気がします。夫婦生活をしていると、ついパートナーに求めてしまうもの。noteを読んでいても、「夫に期待しないことにした」といった記事を見かけることがあります。いち夫としては、ちょっと寂しいです。

とはいえ、僕の夫婦生活の中でも期待をしたことでガッカリしたことは何度もあります。そのときに、「自分が期待しなければ、求めなければいいんじゃないか」とよぎることもありました。

でもその度に、相手に「期待しない」は本当に良いことなのかな?と考えてしまうのです。


期待しない人生って、楽しいのか?

「期待しない」という考え方に納得ができない大きな理由は、これまでにそう言っていた人の中で本当に「幸せそうだな」「楽しそうだな」と感じた方と出会ったことがないからかもしれません。「この人、本当に幸せなのか?」と雰囲気で感じてしまうのです。

期待の根底には「願い」「欲望」があります。自分が「これを手に入れたい」とか、パートナーに「こんな行動をして欲しい」などの想いです。その期待が叶うときもあれば、時には叶わずにガッカリすることもあります。

一般的な「期待しない」という考え方に対して、「願いや欲望を押し込めて、ガッカリによる心の傷を回避するアプローチなんじゃないか」と見えてしまうんです。

期待があるからこそ、傷つくことも衝突することもある。でも、それを乗り越えた先に喜びや成長があるんじゃないかと。波風のない割り切った人生よりも、苦難や喜びが多々ある人生のほうが楽しそうだな。それが僕の考えなんですよね。


期待しないを超えて、それでも期待する

大切なのは「適度な期待」なのかもしれません。期待があまりにも強すぎて、自分の身を滅ぼしたり相手を苦しめてしまうのは違うと思います。でも、手放しに「期待しない」こともどこか自分を殺しているように感じます。きっと、適度な程度や順序があると思うんです。

最初は誰しもが期待したら叶うと思い込む時期があると思うんです。なんでもうまくいく、そんな全能感。でも段々と現実を知り傷つく中で、期待してもすべてが叶うわけじゃないことを理解する時期がきます。一般的に「期待しない」というのはその際に心を守るのに有効な考えだと思います。

ただ、期待の根底には願いや欲望があるので、それを押し込めるのも違うと思う。何もかもが叶うわけではないことを前提に、それでも期待をすることはアリなんじゃないかと思います。もちろん、その期待をその相手が応えるかはまた別の話。叶わなくても一喜一憂をしない。そんな期待と諦めのバランス感覚がすごく大切なような気がしています。


ま、別に良い・悪いの話じゃない

今回の記事は『相手に「期待しない」はホントに良いことなの?』というタイトルですが、そもそも良い・悪いで評価する話ではないと思っています。それぞれの価値観や正義があると思うので。

ただ、世の中の「期待しない」というアプローチに対して、自分なりの考えをまとめてみようと思いました。みなさんは、どう思いますか?ぜひご意見お聞かせいただけると嬉しいです。

では!

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