ノート

なぜ、日本人はお金の話をしないのか

お金、好きですか?
私は大好きです。お金。

「お金が好きです」と言うと、「この人はなんて下品な人間なのだろうか」と思われる。

日本社会では「お金」の話はタブーとされています。

私もお金に関する話を親から聞かされたことはありません。
せいぜい「お金の貸し借りは絶対にやめなさい」くらい。

学校でもお金の授業はしません。
あるとしても、政治経済の授業で「資本主義とは、、、である」というように単語の説明のみ。

この状況はどう考えてもおかしい。
私はそう思った。

新卒で企業に入社し、私が学んだこと。
「これが資本主義ってやつか」

資本主義とは?

私なりの解釈です。

資本主義とはいたって簡単な構造。
「雇う側」と「雇われる側」の二つのプレイヤーによって構成される、社会構造。

雇う側:経営者、投資家、資産家、など
雇われる側:従業員(会社員)

経営者や投資家なりが、お給料を出して従業員を雇い、従業員はその対価として労働を負う。

経営者は、人を雇い労働力を得て、その労働力でさらに利益を得る。

「ほうほう、これが資本主義かぁ」と新卒新入社員であるペーペーの私は学ぶ。

まったく可愛くない新入社員。

でも、私の人生では、誰もこのことを教えてくれた人はいません。

学校の先生やバイト先の社員さん、新卒で入社した会社の先輩たち、自分の親でさえも。

これはどう考えてもおかしい。

この世界には確かに”貧富の差”が存在する。

発展途上国と先進国で貧富の差が生まれるのは分かる。
しかし日本という一国の中でも、これだけ「お金持ち」と「そうでない人」の差が生まれるのは、なぜだろうか。

純粋な私は考えたのです。

会社員=時間の切り売り

もう一度、資本主義に戻ってみよう。

資本主義とは「雇う側」と「雇われる側」の2つの存在によって成り立つ。従業員は、労働力を経営者に提供することで、お給料を得る。

「あなたの人生における1日24時間のうち、8時間を労働力として頂けるのであれば、会社はあなたに毎月決まった額のお給料を差し上げます」

「会社員は時給で働いている」ということに気が付く。

ここでさらに深掘りをする。

働くことによって「やりがい」であったり「自分の成長」などを実感することがある。お金のためだけに仕事をしているわけではない。

とは言っても従業員にとって、お給料は非常に大切なもの。

全く可愛げのない言い方をすると、会社と従業員を結び付けているものは、契約上、「労働」と「給与」だからだ。

もし、あなたの目の前に天使が現れ、「あなたに3億円をあげます」と現金を積まれたら、あなたは仕事を辞めますか。

「辞める」という人は、「仕事をお金のためだけにやっている」という部分が大きいかもしれない。

これに関しては、私は全くダメだとは思わない。
自分がもし現金3億円を目の前で積まれたら、仕事を辞めて自分が好きなことに没頭する。

労働力を会社に与え、給料を得るのが会社員の稼ぎ方だ。

生涯年収分のお金を現金でくれるというのだ。
そりゃあ、もらう。

サラリーマンとして稼ぐには限度がある

サラリーマンとしてお金を稼ぐには、会社に一日8時間を労働力として捧げること。

しかし、ここで大きな問題に衝突する。
「一体、お給料はいくらもらえるのか?」

どんなに頑張っても、サラリーマンの最高年収は3000万ではないだろうか。

でも、実際にこれだけの給料を手にしているサラリーマンは、本当に一握り。一握りの一握りの、さらに一握りの一握りといったところだろうか。

これでもかと握りに握って3000万である。

多くのサラリーマンは、これだけの給料を得ることなく定年を迎える。

「労働力を会社に与え、給料を得る」という働き方には、限度がある。

なぜなら、人件費(給料)には上限があるからだ。

可愛げのない新入社員のペーペーである私は、相変わらず可愛げのないことを考える。

「サラリーマンやってても、(経済的に)豊かにはなれない」

大学を卒業し、ついに社会人。
あの頃はキラキラしていた。社会に羽ばたくんだ、とやる気満々。

だがしかし、数か月後にはあの時のキラキラは完全に消えた。

「ずっとこのまま(サラリーマン)じゃ、ヤバい」

期待とワクワクが、焦りに変わる。

今まで出会った誰もが教えてくれないことを、私は自分なりに考え、そして学んだ。

学校の先生は教えてくれない

義務教育の中で、お金に関する話を聞いたことがない。

「どうしてこんなに大切なことを、誰も教えないのだろうか」
「もしかして、誰も気が付いていないのだろうか」

『金持ち父さん貧乏父さん』で有名な実業家ロバート・キヨサキ氏。

彼のインタビューを見て、ハッとした。
この動画は是非ご覧いただきたい。

このインタビューでは、金融教育の重要性を彼は説いている。

「教育をしないから、誰も知らない」
「学校の先生ですら、それを知らないんだから」

この言葉にすべてが詰まっているように思える。

だからといって、学校の先生が悪いのではない。
分からないことは自分で勉強すればいいだけの話。

資本主義を上手く、賢く生きる

可愛げのない私が始めたこと。

①会社を辞める
②株を始める
③カメラを始める
④第2・3外国語学習を始める
⑤とにかくなんでもやってみる

本当の意味で自立をするために、自分には何ができるだろうか、と考えた結果である。

普通の人が見たら、「こいつ①からすでにぶっ飛んでる」と思われるかもしれない。

私の立場からすると、「定年までサラリーマン!」と意気込んでいる人の方が、よっぽどロックンローラーな気がしてならない。

今年始めた株も、今のところは年率10%ほどで利益を出せそうな状況。
ちなみに、日本の銀行の金利は0.010%という、ロバート・キヨサキ氏も驚く数字。

カメラは元々好きだったので、上達は速い(気がする)。

カメラを始めたことによる変化。
それは、周りの目が気にならなくなったこと

新しい一眼レフカメラを買って街中でカメラを構え写真を撮る。

最初の頃は、この行為、けっこう恥ずかしい。

大きな一眼は、周りの人から注目されることが多い。
視線を集めてしまうようだ。

動画撮影時は、ただでさえイカツイ大きなカメラに、モフモフとしたマイクが付けられるから、なおさら目立ってしまう。

これ以上は話が長くなるので、カメラの話はこの辺に。

私はタイ語とスペイン語を勉強している。
英語との付き合いは長いため、その他の言語を勉強しようと。

スペイン語は割とメジャーな言語なので、やっといて損はない。
なぜタイ語なのか。タイとは相性が良いから。

「なぜタイなのか」という話については、また別で書きたいと思う。
それだけ”タイでなければならない理由”があるからだ。

資本主義を賢く生きる上で、ずっと「雇われる側」にいるのは、賢明とは言えない気がした。

このことを学べたのは、実際に「雇われる側」にいたからこそである。

自分で学ぶ

学校では学べないこと、学校では教えられないことが数多く存在する。
その中の1つが、「お金」ではないだろうか。

生きていく上で、お金は最も大切な物のうちの1つである。

誰も教えてくれないなら自分で学べばいい。
知っている人から聞けばいい。

最後にこれだけは誤解が無いよう伝えたい。
私は決してお金ばかりを追っているわけではない。

ニューヨークで見た現実が、私の生き方を見つめ直す良い機会になったことは、間違いない。

「人に何かを与えることのできる存在」になるために、今日も必死に文字を打ち込む。

休んでいる暇など、私にはない。
知らないことがあまりにも多すぎる。

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