日本の研究力低下のウソとホント④

さて、前回は研究力の低下の真の原因として「海外追従主義」な研究者の増加によるものであるとしました。

最後にその裏にある原因と、その対応についてです。

憧れることのメリット

研究において「憧れ」は他の分野同様メリットデメリットあります。デメリットについては先に書いたとおりです。同じことを別の方も語っていますし、大谷選手がいったように「憧れては勝てない」んです。

一方で海外研究への憧れをもちフォロワーになることのメリットが当然大きいからフォロワーになるんです。

まずは価値観の問題。今の時代はVUCAと言われますが、研究の世界は本来であれば常にVUCAです。
そんな世界で、舶来で「強力な」研究トピックはそんな時代であっても「価値観」として強固に見えます。
今の日本の若者にとって「外資系IT」もしくは「外資系コンサル」が圧倒的正義にみえるのと同様です。

次に経済的な問題。価値観にも似通っているんですが、すでに評価された問題に取り組むことはお金も得られやすく注目度も高い。そしてある程度の手法が定まっているなど小さなグループを立ち上げるよりも簡単です。大企業のほうがホワイトであるのと同樣です。

そして、リスクの問題。新たな価値観の提示は当たればでかいけれど、受け入れられない、間違った議論をするなどのリスクもでかい。その意味で、評価の定まった研究は低リスクで、ほどほどの評価であれば簡単です。ベンチャーよりも大企業を選ぶのと同樣です。

つまりは「勝馬に乗る」、「他人の褌で相撲をとる」ことで生き残りを図っている。

企業や政治ではまあわからんでもないですが、研究者としては好ましくないにも関わらず、そういう人が多いと言えます。何故か?

「上がり」としての大学ポストと権力志向

おそらく最大の原因は大学のポストに就くこと自体が研究者としての「上がり」ポジションであるということです。
これは日本企業の上級管理職が「アガリ」なのと同様です。

研究を頑張るモチベーションが「ポストに就く=助教、准教授になる」という人はとても多い。大学のポストに就くと様々な「ステータス」が付与されます。メディアに呼ばれる可能性もありますし、日本何とか学会の幹事になれたり、何より「先生」と呼ばれるようになって自尊心が満たされる。その意味で「ステータス性」を求めて研究者を目指す人も多くいます。

日本は年功序列なので助教についてさえしまえばあとは自動的にそこそこの地位まで上がるので研究をしてもしなくてもどっちでもよくなっちゃいます。(これは海外でも同じなんですが、もう少し成果に対して厳しい査定があります)

つまり、ポストに就いたとたんに研究するインセンティブが本人の”プリミティブな研究の情熱”のみというのが研究界隈の人事制度になります。情熱を持ち続けられる人間がポストに就くこともなくはないのですが、やがて人間は堕落していきます笑

モチベーションは人それぞれなのでとやかく言うことは控えますが、これが大きな研究力の阻害になっていく遠因にもなっていきます。

こういう人が研究を行うとどうなるか?

「偉くなる>研究での大発見」がインセンティブですので、当然ながらリスクは最小限に抑えるように働きます。トピックは舶来のすでに価値が決まったものをやるし、手っ取り早く成果が出るのものを志向する。
チャレンジは求めず、若者教育や成果よりも、自分の成果を最大化することを好むため「自分に従順で成果を出し続ける」ことを求める。

結局研究領域でも日本の組織特有の「大企業病」なり「日本軍病」に陥っていく。

大企業がこの問題を脱却しようと様々な取り組みをしていますし、それが出来なかったところ(東芝、シャープなどなど)は倒産しています。

大学は倒産しないのでこの問題が解決されないまま、ずるずると「業績悪化」を辿っている。

腐敗する研究室、腐敗を止められない大学

大学のポストはステータスすなわち権力です。「権力は腐敗する」という言葉があるように大学の研究室でも権力によって腐敗していきます。

これはパーソナリティの問題でもあるわけで、利他的に行使する人間は「より良い研究環境を構築」するのですが、「ステータス」を求めて研究をした人間は多くの場合「利己的」なパーソナリティを持っていますので大体腐敗していきます。

大学の場合は一般企業と異なり、これらのリーダーシップの欠陥や問題に対して対処する術を持っていないので腐敗はどんどん進行していきます。

こういう組織になるほど離職率が高くなっていくんですが、より忠誠心があり、よりコミュニティへの貢献志向がある人(つまり研究者として優秀な人)ほど早期に離脱していきます。

残るは凡庸な権力志向のものが残ります。すると彼らは上記の記事のように自身の権力を守るために同質な人間で徒党を組むようになります(研究分野で〇〇一派という派閥が多く存在していたと思います)。

一度権力志向な人が現れるとまさに「田舎の権力者がいるくそ自治会」の如く居心地の悪い組織になっていく。田舎から逃げる若者のように居心地の悪い組織からは若くて優秀な人材は逃げていく。
こうして「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉通りに健全な組織が破壊されていく。

これが今の日本の大学で起きていることだと思います。

尖った才能を生かす組織とは?

才能を生かす組織づくりはいつでも難しいんですが、一般的な答えは「組織のガバナンス」を徹底するです。

一般的な組織だと、評価の明確化や上位方針の明確化、チャレンジへのインセンティブを増やす仕組みづくりなど透明性と自律性を組織として促進する仕組みを作ったりします。

一方で、大学はその伝統から所謂「教授会」などの研究者コミュニティの自治によってガバナンスが成り立っています。

研究者コミュニティは大学という範疇を超えますので、ガバナンスという点では研究者コミュニティの自浄作用のみが頼りですが、先の様に一度「腐敗した組織」になると自浄作用は難しい。また、研究内容に関しては一般人には評価が難しいので教授会を否定することも難しい。

ガバナンスとして可能なのは「採用に関する人事権」意外のものに対してのコントロールを強化することです。つまり「給与、予算、待遇」等をコント
ロールすることです。

野球例えましょう。阪神が「四球」を査定に入れた結果、四球を選ぶようになり、優勝しました。一方の巨人は「ホームラン数」や「長打率」を査定に入れたのだと思いますが、ホームラン数はリーグトップでしたが4位でした。今の大学は「IF」や大学ランキングといった「目に見える」ファクターのみを重視する、つまり「ホームラン数」や「メディアの注目度」みたいな評価軸でしかものを見ていないことになります。

つまり「何を査定に入れるか」である程度アウトプットをコントロールできるといういい例ですよね。その意味において大学毎に個々人の「査定」を行うことで特色を出すこともできる。

もう一つは現在の大学における「二重統治の協力的解消」です。
先にも述べたように「採用人事権」と「何を研究するか」という点は個々人と教授会などのコミュニティによって依存していて、運営そのものは委員会が統治するという構造になっている。

しかし、ガバナンス側が基本的に文科省の言いなりで「研究者コミュニティと敵対的」という問題もあってガバナンスが機能していない笑

それ故様々な問題を起こしているわけなので、この「融和的な解決」をする必要もあります。こちらは最近になって文科省でも議論していますね

https://www.mext.go.jp/content/20210108-mxt_sigakugy-mext_00012_2.pdf

まとめ

長くなりましたが、民間企業から研究を眺めると研究というのは一部を除いて想像以上に「深刻なガバナンス問題」を抱えています。

それは研究室レベル、研究所大学レベル、研究分野レベル全てにおいて、大企業でもないのに「大企業病」を発症している。それが「研究力の低下」になっている。ひいては「日本の国力の低下」とほぼ同じ原因でもあります。

民間企業においても相当の覚悟をもって改革を勧めたり失敗している問題ですが、大学は民間企業とは違い自浄作用が働かないため、中々思い切った改革が出来ない。

恐らく国はある程度の問題を把握して、ガバナンス強化の試行錯誤していると思うのですが、如何せん「国からの圧力」というイメージがつきまとうので、強固な反対があり中々改善されないののは日本学術会議でも現れています 。

まあ、これをどうするかは研究者たちの「良心」にかけるしかないように思います。

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