データサイエンス学部と教養部

昨今色々な大学でデータサイエンス学部というのが乱立しています。

社会のニーズ、学生側のニーズというのも理解できますし、ポスドクたちのぽすとを増やすというのもまあ理解はできます。一方で学問の本質としてのデータサイエンスを考えていくとデータサイエンス学部の意外な側面が見えてきます。

というわけでデータサイエンスをどう学生に学ばせるかという話です。

おおよそ半数以上の理系学部はデータサイエンスである

まず第一にデータサイエンスは本質的には統計学です。統計学は数学の一分野でしかありません。
おおよその大学の数学の研究は理学部数学科に属していて、さらにその下の統計学に属します。

つまり、データサイエンス学部というのは法学部から独立して刑法学部を設立しますとか、経営学部から独立して動的マクロ経済学部を設立しますくらいの話になります

また、データサイエンスの根幹はデータ分析であってその統計処理技術についてです。
つまりは多かれ少なかれデータを扱う理系はデータサイエンティストです。
普通のサイエンス、エンジニアリングとデータサイエンスの違いは、データ分析の手法が大事かその結果が大事かの違いしかありません(大きく違いますが)。つまり、わざわざ独立させなくても多かれ少なかれみんなデータ分析のプロです。

データ分析の際にはAIを使う場合もありますし信頼性の問題から使わないこともあります。しかし研究として大事なのはAIや統計知識を使うことでなくてその結果だったりアイディアのほうです。統計知識やAIはあくまでその研究内容にあった技法でしかないということです。

それはビジネスでも同じでデータ分析のツールが大事ではなくてその結果からどういうことが言えるのかとかどうしたら効率改善できるのかが重要なのと同じです。

データサイエンスは学問ではない

データサイエンス学部と名前をうつということは「データサイエンス」という「学問」として何か統一的な目標を掲げないといけません。

そう考えたときに学問としてデータサイエンスの致命的な欠陥は「学問としての統一的な視座を持ちえない」というところです。つまり「データ分析技術を極めたときに一体どういう世界観を得られるのか」という問いに対して陳腐な答えしか持ちえません。

データサイエンスのキモは AIの技法やデータ分析手法ではなく様々なデータ分析を「学問」としてではなく「工芸」として扱うという思想の転換です。

例えば「犯罪の再販率」なんてのがAIの例に出されますが、これまでの犯罪学では「どういった要因が再犯をさせるのか」という点を重視していたのに対してデータサイエンスでは「犯罪率をどれだけ正確に予測できるか」という問題に置き換わります。
犯罪そのものに対しての深い理解を目指すところから「何でもいいから予測が正確であればよい」というスタンスに変わります。

実際の現場でもNFL定理という統計的学習の批判を逆手にとってデータセットに対しての「局所最適化」をしているだけです。しかもその局所最適化にも「職人的な直感」が頼りでなんら法則性や一般性を持ち得てないのが現状ですしそれを目指す気もありません。

言い方は悪いですがデータサイエンスそのものは所詮職人芸であり、「手法は賢いことをしているけれどその中身はすっからかん」という学問だと思います。

教養学部の再編を

ではデータサイエンスの本当の意味はなんなのかを考えてみると結局の所「これまで学問として分析対象でなかった対象も分析を可能にする」という所に落ち着きます。つまりデータ分析技法よりも「データ自体」の特殊性です。

実際にデータサイエンス学部では前述のとおり学問としての系統的な視座を持ち合わせませんので、様々な種類のデータ解析経験者を寄せ集めて、全般的に通用するデータ分析の基礎と、プログラミング、そしてそれぞれのデータの種類や基礎的な知識などが語られるんだと思います。
つまりは「様々な分野をデータ分析という視点(テクニック)で横断する」という文脈でのデータサイエンス学部は重要性を持つのだと思います。

様々な分野を横断的に学ぶというスタイルの学部ってよくよく考えるとそれってすでに「教養学部」として存在していますよね? 実際のデータサイエンスの重要性の文脈も文系理系を問わず「一般素養としてデータを分析できる能力」という要請から来ています。また、データサイエンス自体は先も述べたように”技法”であって大体の理系大学生が多かれ少なかれ経験していくようなものでもあります。そういう意味では理系の人間の「教養」とも捉えれられると思います。

教養学部の方々には大変申し訳ないのですが現在の教養=リテラシーは思想、文学、歴史などなどのリベラルアーツではなくて「ITリテラシー」「プログラミング」、「金融リテラシー」、「英語、コミュニケーション」「ディベート力」などに置き換わっています。

正直現在の大学の教養教育はその重要性を理解されず、ただただ卒業要件のために存在しておりほとんど意味をなしていません。現在の大学の状況を考えるとデータサイエンスの技術を含めた社会に要請されている能力を「教養教育」としてしてしまう方が一石三鳥です。

私自身は今でも思想書や文学をたしなむくらいの教養主義者なのでまあこれまでの教養教育に拘泥する気持ちはよくわかります。しかし、現状残念ではあるのですが、データサイエンス学部の方が「現代社会においての理想の教養学部」な気はしています。

実はこの記事を書き始めたときは「データサイエンス学部なんてくだらない学部を作る大学も落ちぶれたものだ」というニュアンスで書き始めたんですが、新たな教養学部の設立というニュアンスでは歓迎すべきなのかなと。

逆に言うとデータサイエンス学部という名前がよろしくないので「デジタル教養部」、「デジタルリベラルアーツ部」くらいにしませんかね笑


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