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俺の右手と左手さん

おそらく、ごく個人的な感覚だと思いますが、先日参加したワークショップでの個人的な新発見を記します。アンパンマンのようなタイトルが気になる方は読み進めて下さい。



参加したワークショップは、慕っている友人が開催する「マインドフル セルフ コンパッション(MSC)」のワークショップ。

深く落ち込んだり、悩んだりしている友人に向ける眼差しを自分に向けて、自分を整える一連の考え方や手法を学ぶことが出来る。

ポジティブ変換モンスター(自称)の私には、特段深い悩みがあるわけではないけど、久しぶりに帰国した友人と会いたい思いもあって参加を決めた。「『コンパッション』って、実際何?」って興味もあったけど。

あー、あとは彼女がやるならきっと本物だな、って直感もあったと思う。

彼女とはコーチングの学びの場で出会い、共に成長して来た。その中で、彼女の涙も見たし、それに感化されて泣いたりもした。その後の誰もが知る海外の超一流大学への留学×2校(驚)、そしてその背景にある想いを何となく分かっていたので、その彼女が安物を提供するはずないと感じたのです。

ちなみに、彼女のモットー(?)は、「人生大爆笑」。
この文脈に関係ないけど、まさにそんな感じに自分に降りかかるトラブルを面白おかしくシェアしてくれて、周りを笑顔にしてくれる人。

そして、共有は滅多にないけど、深く人に寄り添えるし、その分、深い悲しみも知ってる人。

だから、参加してみた。

と、参加の経緯は今回の内容にはあまり関係ないけど、本物の内容の中で感じたことだということは前提として伝えておきたい。

さて、何を発見したかという話に移ろう。

毎回3hの開催×8回の1回目での出来事でした。開始から2hくらい経ったタイミングだったかもしれない。それまで、前提となる説明を聞き、ごく簡単なワークをやり、その感覚をシェアし合ってきた。

そして、「スージング タッチ」という名前のワークに入った。自分がちょっと嫌だなと思う出来事を思い出して、その時に感じる感覚や感情を解消するために、自分の身体の色々な場所を労るように丁寧に触っていくワーク。講師の誘導に従って色々な部位に触れて意識を向けてみたり、当てている手のひらの温度を感じたりする。

まずは、嫌な感覚が生じている部位に触れるように講師に指示された。

触る前、触ろうとする手に意識を向けると自分の手が発熱しているのが分かる。手のひらの中央から指先に温度が伝わる感じ。指の間や手の甲側は、周りの空気の温度を感じている。手の内側と外側に違った温度が流れている。そんなことを感じながら胃の辺りに手を持っていく。ネガティブな感覚は、私の場合、大抵胃の上部がキューッと収縮するような感じとして現れる。

こうして改めて意識的に手を動かしてみると、腕の重量にも意識がいく。重くはないけど、下に引っ張られる力に抵抗するように上向きの力を加えている。重さを確かに感じる。

お腹にそっと手を重ねると、一瞬の間を開けて手のひらの温度が伝わり始める。ふむふむ、来たきた。

そのまま、その温度で違和感を包み込んでみる。冷たい氷を溶かすように、じんわり、じわじわ。しばらく、じわじわさせる。

しばらくすると、キューッと縮み込むような違和感は少しずつ薄れていった。薄れ切って無くなったらどうなるかと思ったら、まだそこにある手からの温かい波の重なりと共に、安心するような感覚が重なっていった。

普段から違和感には意識を向けるようにしていて、敢えてそれと共にいることをしている。不思議とそれだけで違和感は解消するのだけど、その感覚はマイナスがゼロになる感じで、プラスになる感じではない。この辺が「スージング タッチ」の良いところなのだろう。

そんなことをおもっていたら、「今度は反対の手で同じことをやってみてください」とのことなので、右手を離して、左手を置いてみる。まぁ、同じ感じだろな、と思いながら。

ん?

もう一回、右手を置いてみる。

ん?

もう一回、左手。

あれ? なんか違う。

まず、温度が左の方がやや低い……気がする。右手の甲で感じていた外気はあまり感じない。手の温度を感じるのは、左手の内側からではなくお腹側で。微細だけど、明らかに感覚が違う。

もう二回、手を交互に入れ替えて確認する。やはーり、違う!

今度は左手で胃の中の違和感を包みにいってみる。分からんけど、なんかあったか柔らかい。そして、分からんけど、安心感が右手より深い気がする! 敢えて言うなら子供の頃に父親の分厚い手でお腹を温めてもらった時のような感じ。

なんじゃ、こりゃ!

左手さんと右手さん、何が違うんだ?
二人とも俺だろ?

と両名に意識を向けてみる。

すると、わずかだけどさらに違いを感じる。右手はまさに俺自身の感覚だけど、左手さんはやや他人感がある。普段も感じていた感覚の一部ではあるけど、いつもはスルーしていた。

右手は利き手だから動かすにあたって一切の不自由を感じない。イメージしたように指先まで滑らかに動かせる。

一方、左手さんは若干の不自由さがある。同じ動きをさせても、複雑な動きや素早い動きになると、右手と同じようには動かない。左手さんは、関節や関節と関節の間の骨、動かす角度、順番などを意識しないとイメージしたようには動かせない感覚がある。もちろんまったく動かせないと言うわけではなく、右手と比較するとそういう意識が強く働いている程度なのだけど。

この左手さんから感じる不自由さが自分の外側のモノ感に繋がり、部分的に他人感となっているのかもしれない。

面白いもので、左手さんとして自分と切り離して意識を向けてみると、他人感がより明確に意識される。改めて動かしてみて、どんな動きをしているのか。右手だと無意識にできていることが出来ない左手さん。どういう意識を持ったらイメージ通り動くのか、繰り返し試してみる。

ボールを投げる動作一つとっても、どの時点で手首や肘を返すのか、どの順番で指先に力を伝えていって、ボールに力を与えるのか。まるで野球教室で初めて投げ方を教わるようにゆっくり動かしてみる。そして、出来なさを実感するww

おっと、つい後日談に入ってしまっていました。
ワークショップに戻ります。

他人感に気付いたところで、他人感と自分感を意識的に感じ取りながら、左右の手を入れ替えてワークをしてみる。

そうしてみて改めて感じたのは、右手で触る時は違和感を解消しようという意図が強めに働いていて、左手さんで触る時はその意図が薄いということ。

この意図の濃さの違いが、触った後の感覚の違いになっているように感じた。

右手は、「解消するぞー」と思いながら触るので、解消したら「OK、作業完了」みたいな感じになる。達成感がある感じでしょうか。

一方、左手さんは、他人なので意図は分からないし、解消しても自分が達成感を得ることがない。その代わり、有り難さとか、優しさのような感じが湧いてくる。ややデフォルメしているけど、エッセンスとしては確かにあった。

ワークが終わり、このことを講師にシェアしたら、左右差は兎も角も、コンパッションのワークは自分でやるより他者からやってもらった方が高い効果があるという実験結果があるとのこと。

いやー、まさにそれを感じていたんですね。

一人で二人羽織をしていた感じで、通常はあまりないのかもしれないけど、自分の右手を使いまくる癖が育てた特技なのかも。

小さな自分に対する発見でしたが、まだまだ自分の使い方を知らないなー、なんて、期待満載の感覚を覚えた時間でした。本当に自分の使い方を理解し切って、使いこなせたらどんなことになるのだろう。

でも、どうしたものか。左手をもっと開発して新たな境地を見つけるか、左手さんを強化するために右手重視生活をすべきか、迷うww

ということで、誰得なのか分かりませんが、今回はこの辺で終わります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。良き日をお過ごしください

ゆう

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