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イツカ キミハ イッタep.73

沖縄に台風が近づいている。そんなニュースを聞くと、そろそろ梅雨が近づいてきたなと感じる。そして、心持ち風の吹きすさぶ、横殴りの雨を待ち遠しく思う自分にハッとする。毎年災害をもたらす疎うべき気象を、どこか懐かしんでしまうのは、高校1年の6月、須走の観測所に閉じ込められた記憶にまで遡る。

あの日は出掛ける前から風が強く、1年3組の仲間10人の中でも計画を実行すべきか否か意見が割れていた。
計画と言っても、別に大袈裟なものではない。9月の文化祭を前に、チームを組んだメンバーで集まり、アイデア出しをしようという話だったが、放課後は各人別の部活に所属して時間があまり取れなかったことから、週末にじっくり語り合おうという計画だった。もしかしたら、そんな真面目な理由は口実に過ぎず、ただ単に知り合ったばかりのクラスの仲良し男女で、学校という場所から離れて遊びたいという動機から来るものだったのかもしれない。

いづれにしても、次の週末の土曜日、どこかで集まろうという日程までは決まったが、10人もの人が長時間過ごせる場所は、ファミリーレストランかカラオケしか思いつかず、そんな場所では創発的なアイデアが生まれそうになかった。

「どこか、自然を感じられる場所で、自由に絵を描いたり音楽つくったり、時に身体動かせる場所ってないかな?」

10人のなかでリーダー格だったS君が言うと、父親が某放送局のカメラマンをしているというYさんが、ボソッと呟いた。

「富士山の麓に須走という場所があるんだけど、父がそこで観測のための撮影所として使っている別荘があるよ」

「すげーじゃん、富士山眺めながら、焚き火でも囲んだら、なんかいいアイデア出てきそう!」

急にS君の顔がパッと明るくなり、みんなにも同意を求めた。

「富士山、見たい!」
「どうやって行くのかな?バスで行ける?」

それぞれがもう行く気になって、好き放題に話し始める。

あっという間に計画が練り上げられ、早朝に家を出て、別荘の最寄駅に着く最終便のバスで帰ることとなった。焚き火の案だけはYさんの親に却下され、その代わり、近くの沢で持ち寄り弁当を広げて青空ランチにしようということになった。

青空ランチ…。ワクワクするような響きだが、6月下旬で青空が望める確率はかなり低い。それでも、私たちは一縷の希望を胸に、週末を待った。
そして、例年どおりの梅雨入り宣言があった
その週の土曜日、九州に台風が近づいているニュースを聞き流しながら、須走へと向かった。

着くと、しとしとと雨が降り出していた。
そして別荘と聞いていたものの、実際には観測所に寝泊まりするための部屋が3部屋あるだけの倉庫の2階だった。
仕方なく、ダクトが外に張り出した大型の石油ストーブのある大広間で、弁当を広げた。雨樋から勢いよく雨が流れ落ちる音を聞くようになると、誰かが怪談を声色を変えて話し始めた。そこから「妖怪の住む家」をモチーフとした展示はどうだろう?という話しに発展した。女子から「単なるおばけ屋敷じゃつまらない」という意見が出され、設定をいろいろ話し合った。

雨になってしまったけれど、雨だからこそのアイデアが煙のように立ち昇っては消え、寒くなってくると、ストーブを点火し、その火の揺らめきを眺めながら、次第に自身の話をするようになった。

テレビも電話もない、あるのは撮影機材と幾つかの家具だけという閉じた空間のなかで、どれくらい話していただろう。
10人もいれは、誰かしらが気にしていると思われたバスの時間まで、あと5分に迫っていた。
慌てて荷物をまとめて外に出ると、吹き飛ばされそうなほどの風に一堂たじろいだ。

「台風、こっちにも近づいているのかな」

不安そうに見上げたN子が開きかけた傘を閉じて言った。
とりあえずバス停まで走ろう。あそこの東屋まで行けば、この人数でも肩を寄せれば入りきれるはず。口々にそう励ましあって、降りしく雨のなかに一斉に飛び出した。

間違いなく発車時刻までにバス停に着いたとは言えないが、それでもストーブの火を消して戸締りするYさんを助け、濡れるのもかまわず一目散に向かったのは確かだ。

結果として、バスは30分待っても来なかった。横殴りの雨は容赦なく東屋の奥まで入り込んできて、寄せ合う足下から濡らしていった。まだ、携帯電話やスマホも無い時代。これからの天候も分からず、家にも連絡がつかない状況で、誰からともなく「帰ろう」と言い出した。逆らう者はなく、小走りで来た道を戻った。

別荘に戻って最初にしたことは、ストーブに火を付けることと、食糧を探すことだった。幸いにも、局のカメラマン複数人が最近も寝泊まりしたのであろう、カップラーメンや缶詰が棚の奥にたくさん閉まってあった。

部屋が暖かくなり当面の食事も確保出来たことに安堵すると、みんな急にハイテンションになってきた。カセットコンロで湯を沸かしお茶を飲んだ後、「これはキャンプだ」と言い出し面白がって、キャンプファイヤーの真似事をし始めた。円になって、歌を歌いながら踊ったり、数少ない椅子を取り合ってフルーツバスケットをした。

謀らずも当初の計画どおり、外の雨をあえて気にしないよう身体を動かし、大声出して歌ううちにお腹が空き、「誰か何か作ってくれよ」と頼まれた。
料理など作ったことのない私は困った。
流しには、いつ採ってきたのか分からない泥の付いた長ネギが横たわっていた。ここに着いたとき、男の子の何人かが建物周囲を探検すると言って出掛けた際、裏庭から引き抜いてきたものらしかった。

「材料って、これだけ?」

尋ねると女子から缶詰があるじゃない、との声が上がった。

私は家で見かけたことのある焼き鳥缶を手に取ると、ぶつ切りにしたネギをアルミの鍋に入れ、缶の中の汁を上から垂らした。
その時、屋根に当たる雨粒が油が跳ねたときのように、パチパチと大きな音を立てた。そして、急にゴォーッというものすごい音とともに窓枠がガタガタと揺れ、別荘という名の倉庫の2階がミシミシッと軋んだ。

一瞬、静寂に包まれた。

かき混ぜていた割り箸の先のネギから甘い匂いが漂い、遅れること少しして、醤油を焦がしたような旨味の強い香ばしい匂いが部屋の中に立ち込めた。

「今だ!焼き鳥を投入しろ!」

気づくとS君が隣に立って、鍋のなかを覗いていた。慌てて、缶の蓋を大胆に全開にして、焼き鳥を鍋に撒いた。ジュッという音とともに、何人かか唾を呑み込む音が聞こえた気がした。

「さぁ、出来上がり!須走特製焼き鳥!」

どっと笑い声が巻き起こり、カップラーメンの時間を測っていた子や紙コップを並べていた子までも駆け寄ってきた。

「わたしの人生初の手料理、みんなよく味わって食べてね」

「なにが、『手料理』だよぉ」

「ん?この味付け最高!…って缶の汁ウマっ」

「一気にココ居酒屋みたいになったね」

それまでの不安や心配がほぐれて、再びのみんなの笑顔を見て、心の底からホッとした。
嵐の夜をどう過ごしたのか、もう忘れてしまったけれど、観測所で明かした一夜から私たちはより一層仲良くなった。そして30年以上が経っても、未だに集まってバーベキューへ出掛けたりしている。あの頃と違って、傍らにあるのはお茶ではなくお酒だけれど。
そして、ひとしきり想い出話に花が咲いた後、決まってこう言われる。

「あの焼き鳥もどき、うまかったな」

思わず口に出しかけた言葉を胸の内だけで唱える。

あの時、あの場所で、あの状況下で食べたからおいしかったんだよ。
あの味には、もう二度と出会えない…。

懐かしくて、そしてどこか刹那い気持ちで、それぞれが嵐の夜を思い出すのだった。

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