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イツカ キミハ イッタep.96

「あっ、モクレン、咲いてる」

青く澄みわたる空に、白いチューリップのごとくスッと伸びた丸みを帯びた花びらを指さして私は言った。

「いや、こぶしの花じゃないの?知らんけど」

知らないなら、勝手なこと、言うな、と心の中だけで思う。

ハクモクレンだという確信はあった。
こぶしの花びらは、もっと柔いのだ。ともすると、風でほどけてしまうくらい、ベロンと開ききっていたりもする。精一杯てのひらをパーにした少女のようなあどけなさがある。

一方、ハクモクレンを宵闇に見かけたりすると、その様はまるで燭台に灯した明かりのように凛として、日中とは違う妖艶さを見せる。
こちらは喩えるなら淑女とでも言おうか。



実家の庭に、紫色の花を咲かせるモクレンがあった。右隣に枇杷の木。そして、左隣にはイチジクの木が植えられていた。
北向きの、あまり陽の当たらない場所にそれらは植えられていたが、毎年春になると、モクレンが咲き、梅雨前に小さなオレンジ色の枇杷が生り、梅雨が過ぎ半袖に腕を通す頃にはイチジグが実った。

他には、山椒の木や梅の木もあった。
全部、庭いじりが好きだった祖母が、毎年せっせと何処からか仕入れてきては、「この木は◯◯の記念に」と言いながら植えたものだった。それは、家族の誕生日であったり、入学祝いであったり、新築祝いであったり、もう、今となってはどんな理由で植えられたかは思い出せないが、木の植えられた数だけ喜ばしいことがあったということを物語ってくれた。

実のなる木が多い中、モクレンはなんとなく子ども心につまらない木として映った。
花びらが外に向かず内向きで、しかも花びらの外側が紫で内側は白いという、普通の花とは違う出立ちがまた、不気味にすら思えた。
子どもの拳より大きな花びらが地面に落ちているのを見つけると、小枝で傷つけ花びらに字を書いたりもした。今思うと、かなりぞんざいな扱いをしたものである。

いつだったか、祖母になぜこの木を植えたのか尋ねたことがあった。

春を告げる花だからよ。桜より早く咲くから、おばあちゃんはモクレンの蕾が大きくなるのを楽しみにしてるの。桜がどんなに美しかろうと、このふくよかな、完全には開ききらない花が奥ゆかしくてたまらないの。そうね、この花の良さが分かるには、貴女が『おばちゃん』と呼ばれる歳にならないと分からないかもしれないわね。咲ききるのではなく、咲き示すの。天に向かってね

咲ききるのではなく、咲き示す。


どのみち花びらは儚くも散るものだけれど、咲いた後の身の振り方は、やはり歳を重ねてこそ分かるものがあると最近になって思う。

ほんのりと甘く香るモクレン。
その気品ある佇まいに、思わず足を止めた。

ハクモクレンとこぶしの花の違いは花びらの枚数。がく片も花のように見えるハクモクレンの方が多い。
そんなことを説明しようかと思ったけれど、やめた。

この道の先を、咲き示したいのよ。

そう心の中で呟いて、空を仰いだ。
ハクモクレンと同じくらい白い雲が、早春の彼方へと流れていく。
陽の当たった頬に、微風が掠めて行った。

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