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イツカ キミハ イッタ ep.31

春、屋外で食べる弁当のなんと美味しいことか…。それが満開の桜の下だったら、なおのこと。

京都駅から近鉄に乗り換え奈良吉野山へ向かう道中、昼食は柿の葉寿司と決めていたはずなのに、空き時間に立ち寄った駅の売店で、「ひっぱり蛸飯」で有名な淡路屋さんの「六甲山縦走弁当」が目に留まった。

タコ好きではあるが、まさか山頂まで陶器の弁当は持っていくのは憚られる。
しかし、竹笹のようなパッケージに包まれた蛸旨煮の他、おにぎり2個入りの六甲山縦走弁当は、いかにも桜の下で広げるのに適した外装だった。

「これにしよう!」

昼が決まると、旅は格段に楽しみが増す。

橿原神社前で近鉄吉野線に乗り換えて約2時間半。行列の出来ていたロープウェイを横目に、くねくねとした七曲がり坂を越えて吉野山下千本に着いた。

2022年桜開花情報によれば、4月8日が下千本満開日、翌4月9日は中千本の満開日とピタリと行く日と重なっており、毎日開花情報をチェックする時間さえも楽しみで仕方なかった。

実際、満開の桜山を目にしたとき、「こんな風景が現実に見られるだなんて」と驚きが先に出た。

遠くから眺めて美しいものはたくさんあるけれど、近づくとガッカリというケースはままある。

でも、吉野山のシロヤマザクラは山全体で3万本と言われ、山頂から裾野付近に至るまで桜に覆われるという群を抜いたスケールの大きさと、ヤマザクラならではの霞がかった白さが浮かび上がるような美しさの両面から、遠目でも至近から眺めても言葉に尽くせないほどの素晴らしさだった。

「ふへぇ〜、天国、天国」

そう言いながら汗を拭き拭き坂を登るおばあちゃん軍団を抜いて、中千本の見晴らし公園を目指した。

途中、参道に並ぶお土産屋さんの誘惑に負け、昼食後のデザート用にと本葛の水まんじゅうや葛餅を所々で足を止め買い求めたものの、休憩することなく歩き続ける。

12:30予定どおり見晴らし公園に到着。早速、腰掛ける場所を探して、眼下に桜を見渡せるところを見つけると、弁当をひろげた。

真っ青の空と白や淡いピンクで染め上げた桜の下で、包みを開く。奈良漬の香りと目に鮮やかなおかずが食欲をそそる。
焼塩鮭、だし巻き卵に牛蒡の煮物。牛すき焼き風に、蛸の旨煮、かまぼこ等。お弁当の定番おかずに加えて、少し大きめな蛸の存在感が嬉しい。

まさにその至高の一口に差し掛かったとき、突然上空で嫌な音が響いた。

「ブウゥ〜ン」

えっ?まさか蜂?
訝るように天上を見上げる。

蜂の羽音にしてはかなり大きく、一定で同じ場所に止まっているのも不自然な気がした。

周囲で弁当を広げている人達も会話を中断し、怪訝な顔をして桜の向こうの空を眺めている。

しばらくして音が遠くに移っていった。
機械音による振動で、心持ち桜が揺れたような気がする。

「ドローンだ」

誰かの声がした。
暫くしてウグイスの声が耳に届いた。
辺り一帯、花びらとウグイスと春風が通り抜ける元の公園の姿を取り戻す。

吉野山で修行していた西行さんがこの一連の出来事を詠んだらどんな歌になるだろうか。

上空から弁当の中身まで見られたわけではないと思うが、なんとなく興ざめしてしまった。

桜は見上げるもよし、見下ろすもよし。
でも一番よいのは、その花の咲く場所で、どんな時間を過ごしたかが大切なような気がする。

ドローンで桜山を撮った映像は、きっと、それはそれは美しいだろう。
よいアングルで、よい距離感と景色の桜を眺められたら、誰もがそこに行きたくなるかもしれない。

その場所に、「今」わたしは居る。
その美しさを側で感じられている。
こういう瞬間に、自分はもっと、立ち会っていきたい。

柔らかな蛸を咀嚼しながら、そう思った。

よき人のよしとよく見てよしと言ひし
吉野よく見よよき人よく見
(天武天皇)

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