イツカ キミハ イッタep.76
半夏生に出逢ったのは、6月半ば過ぎの京都建仁寺、両足院だった。通常は非公開の池泉回遊式庭園に緑と白の清々しいコントラストが、梅雨で蒸した古都の庭に涼風を運んできた。
緑の葉が白粉をはたいたかのごとく、天に向かって伸びている。池を取り囲むようにして、半夏生が塊のように「咲いて」いるようだった。
「咲いて」見えた半夏生とは実は花ではなく葉なのだと、現地に着いてから知った。
ドクダミ科の多年草である半夏生は、不思議なことに緑の葉の半分ほどが真白くなる。
その中途半端さと、見続けていると次第に葉の1枚全てが白く染まるのではないかとの妄想に駆られて、ずいぶん長いことお茶室でボーッと庭を眺めていた。
このお寺に来るまで、相当な距離を歩いていたので、ただ単に休みたかったのかもしれない。いや、半夏生によって庭園に薄らと雪が積もっているかのように見えたので、一時の涼を求めたのかもしれない。
いづれにしても、ここでの長めの休息によって、その後の計画に大きな支障をきたすこととなった。
帰りの予定していた新幹線に乗り遅れたのだ。目上の方々を見送る立場であったのにもかかわらず…。
私は6月末をもって、その職場を離れることが決まっていた。そんなことは当の本人はまだ知らず、京都にある工場の視察に来たついでに、駅にあったパンフレットで見かけた「特別公開」の文字に惹かれてフラフラと出掛けたのだった。
京都駅にほど近いホテルから、六波羅蜜寺経由で建仁寺からの高台寺をゴール地点に据え、黒の日傘を差しながら、てくてくと歩いた。
駅から建仁寺は徒歩30分程度だったので、朝の散歩を兼ねてウォーキング気分で出発した一方、歩き始めてすぐに湿度の高さから、思うほど快適な散歩ではない予感がしてきていた。
そんなとき、胸ポケットに入れていたスマホがLINEメッセージを知らせる音とともに短く振動した。歩みを止め、街路樹の木陰で手に取ってみると、昨日工場見学で一緒だったS支社長からだった。
「東本願寺前 通過」
えっ?なに、もうそんなとこにいるの?
私は京都タワーの脇を通ったばかりだった。
そもそもS支社長の工場視察に同行者としてお供しただけの身分でありながら、その短いメッセージに俄然、闘志を燃やした。
(このような熱しやすさが仕事に及ぼす影響はプラスに働くときもあるが、大抵は拙速な気持ちの昂まりがマイナスに働くことの方が多いのが実感である)
「早いですね、熱中症にご注意ください」
一応冷静さを保ち、部下として真っ当な返信を送ると、すぐさま東本願寺へと急いだ。
前日に、S支社長含めた関係者で夕飯をとりながら、帰りの日の行動計画を仕事以上に熱心に語っていたのを聞いて連絡をくれたようだった。
「負けられない!追いつかなきゃ…。
いや、S支社長は何処まで行く予定なんだろ?」
そんなことを独りごちながら、吹き出る汗をハンカチで押さえて歩いた。
目的地だった建仁寺、両足院に辿り着くと真っ先にしたことは、白い半夏生の咲く庭園をスマホのカメラで撮り、S支社長にLINEすることだった。
「こちら両足院到着。半夏生が美しい庭を眺めながらお茶をいただく予定です」
暫くしても既読にならなかったので、「きっとどこかお目当ての寺院に向かって歩かれている最中なのだろう…」と思いながら、抹茶の薫りに心落ち着かせた。
庭園を出ようとしたところで、LINEが鳴った。
「六波羅蜜寺。空也上人立像、拝んできました」
当初、六波羅蜜寺経由で建仁寺に行く予定だったが、道を曲がり損ねて、先に建仁寺に到着してしまったので、結果として六波羅蜜寺も先を越されてしまった。
「了解です。私もこれから向かうところです」
一体これは何の報告をしているのだろうか?
LINE送信後、一瞬この連絡が必要だったのかどうか、少し不安に駆られたが、帰りの新幹線の時間は確実に迫ってきていた。
「進もう。行って、空也上人の南無阿弥陀仏を一目見なければ」
振り返ると、池に映った半夏生が蓮の花びらのように見えた。
遅れること15分後、念仏を唱え歩いた姿を表現した空也上人立像の前に立った。
念仏の一語一語が仏様の形となって口から現れるという発想の豊かさと彫刻のリアルさに圧倒されて、一気に汗が引く。
杖の下の小さな蓮の蕾みを見つけ、ここまで導かれたことに感謝の気持ちを抱きつつ、先を急いだ。
高台寺は諦め、鴨川沿いを下りながら、駅へと向かう。途中で京都駅行きのバスに飛び乗ったが、ギリギリのところで予定していた新幹線に乗りそびれた。
一人ホームで謝罪の文を考えていたが、プァーンという音とともに反対ホームに入ってきた新幹線を見て、一言だけ送ることにした。
「申し訳ありません。各寺に夢中になりすぎて、新幹線に乗り遅れました」
すると、すぐに返信がきた。
「そうですか、お気をつけて。京都での鬼ごっこ、楽しませてもらいました」
なんと、鬼ごっこ!!
思わず力抜けて、待合の椅子へと崩れた。
S支社長は気づいていた…。
熱しやすく、猪突猛進な私の性格をご存知で、短い進捗報告から「鬼ごっこ」だと感じ取ったのだ。
ハテ、すると私が鬼で、空也上人立像まで導いてくれたのは、仏様ではなくS支社長だったのか!
そんなことを思ったあの日から、5年。
S支社長は役員になり、私はまだ鬼の姿から完全に抜け出せずにいる。
でも、毎年、この時期になると思い出す。
気づかないだけで、何かに、誰かに、導かれて今があるということを。
今日、7月2日は「半夏生」
中途半端な、
いつ全て真っ白に身を移すのか分からない姿に自らを投影しながら、
半分の、
夏を生きている。
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